【新】『東大阪むかしむかし』
足代の長者の霊験譚(後編)

童子に娘を救われた佐太夫一家、紀伊の国に入り那賀郡に着いても、粉河?だれに聞いても知らぬ、名も聞いたこともないというありさまだ。
捜しあぐねた佐太夫は、道のへりに座り込み流れる谷川を見るともなしに眺めていると、河の流れが白い粉を流したように見えた。
「これや!」
佐太夫はさとり、河を遡り山深くわけ入って、ついに小さな庵を見つけた。
日も落ちてきたので庵の中は真っ暗だ。
さすがに疲れが出てきたので、夜明けを待とうということで、河内から持ってきた香花油などの供物を庵の前に置いて、めいめい庵の前に身を置き休むことにした。
夜も更け漆黒の闇の中、突然、香花油がひとりでに火が付き、あたりが昼のように輝きだした。
これは不思議と庵の中に入ったところ、奥に金色の肌をした千手観音がきらきらと輝いて立っておられた。
しかもその手には、娘の紅の帯がささげられていたのだ。
「そうか、この千手観音さまこそが、童子の姿をかりて娘の病を癒してくださったんや!」
佐太夫一家はありがたさのあまり膝をついていつまでも伏し拝んでいた。
佐太夫一家が庵を見つけたこのときより以前、地元の猟師で大伴孔子古(くすこ)という者が山中で光り輝く土地を見つけた。
孔子古はそこに庵を建てた、その庵こそ佐太夫の見つけた千手観音の庵、輝く光は千手観音の後光であったのであろう。
千手観音の庵のことが知れ渡るようになると、おおぜいの人々が遠い国から山を越え舟に乗って参りにくるようになった。
その庵に佐太夫は莫大な寄進をして大きな伽藍を建てた、粉河寺のはじまりである。
粉河寺の千手観音は九つの井戸を掘られたと言い伝えられている、だいたいは粉河寺付近にあるのだが、ひとつだけ柳井という旱天の時も枯れない井戸だけは渋川の足代の佐太夫の屋敷にあったそうだ。
佐太夫の家は代々足代の里で栄え、塩川の長者と呼ばれるようになった。
後世、この家からは、布施の市長や国の財務大臣も出たそうだ・・・
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