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【新】『東大阪むかしむかし』

仏さまはほっとけ

仏さまはほっとけ(前編)

寺請制度

 

坊主憎けりゃ袈裟まで憎い

坊主丸儲け

三日坊主

まぁ、坊主の悪口たんとあるものですね・・・・

坊主殺せば7代祟る

と偉そうに言ってるので無理もないのですが、なぜこんなふうに嫌われたのでしょうか?

この理由は、江戸時代の「寺請制度」がその背景にあるようです。

キリシタン撲滅に手を焼いた徳川幕府は、仏教を優遇し、寺院に「宗門人別帳」を管理させて檀家制度を義務付け民衆を支配したのであります。

まさに仏教が国教のようになり、坊主は以前にも増して偉そうになり、同時に堕落して生臭坊主を大量に生み出すことになったのです。

いっぽう神社は、伊勢神宮など一部を除いては、神仏習合の影響もあり「神宮寺」を通じて寺院の支配下に置かれ、神主は坊主に顎でつかわれ、掃除洗濯、坊主の御供などの雑用をさせられ、何の権限もなかったのであります。

あげくのはては、神社でありながら、神前で読経するは、仏像を御神体にするは、丹塗りの楼門や五重の塔すらある神社もあって、寺か神社かわからぬありさまになっていたのでした。

この風潮を苦々しく思っていた熊沢蕃山や平田篤胤、水戸黄門光圀らの儒者・国学者・大名たちは坊主を非難し、神主たちは坊主に怨みを募らせ怨みをはらす機会をうかがっていたのでした。

そして、明治維新を迎えたのです。

神仏分離令

維新政府のイデオロギーは、神道の力をもって日本の国を興すことです。

国のいしずえは、仏教から一転して神道になりました。

まず第一に、ごっちゃになっていた神さまと仏さんを区別して分ける事をしなければなりません、慶応4年3月、政府から「神仏分離令」が発布されました。

すると、その年4月さっそく、100人をこえる暴徒が比叡山の日吉山王社に乱入し、仏像を壊し、仏具・経典のたぐいを次々に放り出し焼き捨てました。

つづいて法相宗の大本山である奈良の「興福寺」が暴動の波に巻き込まれ、「廃仏毀釈」が叫ばれたのです。

「今日から仏教は廃止!僧侶はクビ!春日大社の神官になれ!」と声高にさけぶ国学者に煽動され、積年の恨みはこことばかりに神官たちは暴れまわります。

それを見て身の危険を感じた坊主たちは、あろうことか臆面もなく神官に鞍替えし、自分たちが長年拝んでいた仏像を薪にして風呂を沸かして「仏風呂」などといったり、いま国宝に指定されている五重塔を、なんと25円で売りに出し薪にしようとさえしていました。

興福寺の他の坊舎はことごとく「仏風呂」にされてしまい、広大な興福寺境内には何もなくなり、その跡地が、現在の鹿が群れをなしている「奈良公園」になりました。

※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。