地元暮らしをちょっぴり楽しくするようなオリジナル情報なら、東大阪の地域情報サイト「まいぷれ」!
文字サイズ文字を小さくする文字を大きくする

東大阪の地域情報サイト「まいぷれ」東大阪市

【新】『東大阪むかしむかし』

仏さまはほっとけ

仏さまはほっとけ(後編)

廃仏毀釈

政府のお達しには仏像や仏具などを「神社から取り除くこと」とは書かれていても、「破壊せよ」とか「焼却せよ」とはどこにも書かれてはいません。

これはひとえに、いままで偉そうにふんぞりかえっていた特権階級の坊主どもへの復讐でありました、冒頭のことわざになるほどですね。

この「廃仏毀釈」のために日本の寺院の総数は半分以下になり、国宝級の建物や仏像の多数が破壊されたり売りとばされたりしました、「明治の廃仏毀釈が無ければ現在の国宝といわれるものは優に3倍はあっただろう」と言われるほどです。

東大阪の寺院

さて、廃仏毀釈、わたしたちの東大阪も例外ではなかったようで・・・・

御一新までには、枚岡神社には、神護寺、岸光庵、注蓮庵、平岡寺、法護寺、等々神宮寺が六ヶ寺もありました。

そのすべての寺が廃寺となり、いちばん大きな境内をもっていた「神護寺」のあとに、あまりにさびしいので地元の有志たちが梅の苗木を植えました。

これが現在の「枚岡梅林」のはじまりです。

額田の名僧・慈雲尊者ゆかりの「不動寺(長尾寺)」もこのとき廃寺となり、そのあとに「菊水楼」という料理旅館が建ったそうです、現在は昭和37年に大阪市内から「重願寺」が移転してきて再びお寺に戻りました。

上田秋成が逗留した日下の「正法寺」もこのとき廃寺となり、その跡地に明治4年「日下郷学校」が開設されました、これが東大阪市域での最初の小学校となりました。

稲葉の「専光寺」は廃寺のあと、借金のかたに貸主に払い下げられ土地や建物、仏像仏具まで売り飛ばされたそうです。

 

ほかに・・・

客坊の天台寺

吉田の観音寺

市場の泰雲寺、淳慶寺

六万寺の長善寺

豊浦の来迎寺、八木寺、地蔵院、善導庵

池島の慈妙庵

そして大蓮の地名の由来でもある大蓮寺

高井田の長栄寺はかろうじて廃寺をまぬがれたものの寺宝は他所へ

 

これらのお寺、すべて明治4~6年の間に廃寺とされ、仏像仏具は売られ、建物は入札、土地は召し上げられました。

 

そして政府は神仏分離を進める中で、修験道(山伏)や普化宗(虚無僧)、六十六部を禁止し、天台宗や真言宗に統合させ、、はては融通念仏宗すら雑宗として廃絶しようとしました。

衣摺や柏田、西堤、長田、御厨、森河内、加納、岩田、植附など東大阪地域の各念仏寺は恐慌をきたし教部省に嘆願書を提出して存続活動を行いました。

そのかいもあって明治7年には総本山・大念仏寺に対して融通念仏宗存続の許可書を下したそうです。

 

日本中をまきこんだこの狂乱も、ひとしきり坊主へのうっぷん晴らしが終わるといつしか終焉をむかえ、あとには坊主の悪口ことわざだけが残されたのでした。

いまでは想像しがたい歴史の一コマですね。

※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。