【新】『東大阪むかしむかし』
前編 花は桜の鷲尾山、人は金でこころ散る

近鉄奈良線・石切駅の北口降りて東側、マンション手前に並ぶ桜並木は春の盛りに花満開、道行く人の目を和ませてくれます。
そこから山手へ辻子谷(ずしだに)を、登ると生駒宝山寺へのいにしえの参拝道。
道ばたに並んだ地蔵さまが道中の安全を見守ってくれて、興法寺へとたどり着きます。
この辺りを鷲尾山と呼んでおり、今でこそ山すその方に移ってしまいましたが、暴れん坊将軍こと八代将軍・徳川吉宗のころはこの鷲尾山こそ桜の名所、「河内名所図会」にも紹介されたほどであります。
その吉宗の治世・享保十三年の春・三月八日のことであります。
満開の鷲尾山の「花見に鴻池善兵衛を招待したい、ぜひとも助力をたのむ」と、ふもとの日下村に領主・上州沼田藩四万石本多家蔵屋敷役人・田村清蔵が、庄屋・森長右衛門のもとに訪れてまいりました。
その接待花見、聞けば、明くる九日というではございませんか!
「こらえらいこっちゃ!」
長右衛門、びっくりいたしました、
しかも、花見のあとは、長右衛門の屋敷で夕飯まで振舞うようにとのこと。
「そんなアホな・・・・」 けど、なんといってもご領主さま、こちとら百姓身分とあれば無茶でもことわることは出来ません。
長右衛門、下男下女を呼び集め座敷や庭の大掃除、そして使いを大坂市中へと走らせました。
鴻池善兵衛は、有名な鴻池善右衛門の分家であります。
鴻池といえば大坂一の両替商、大坂一と言うことは日本一、分家といえどもその威勢やなまなかな大名なぞ足元にも及ばぬほど、
このころともなりますと、大名はおしなべて財政が貧しくなっておりまして、大阪の商人たちからの借金なしではやっていけなくなっておりました。
各大名家の蔵屋敷の役人たちは、金を借り入れるのに必死でありました。
大坂では蔵役人たちの御用商人へ年始回りから一年が始まり、金の為とあれば、武士もくそもあったもの、腰を二つに折りまげて、頭を稲穂よりひくく下げ、接待に走り回っているのでございます。
その様子や「武士道も捨てて町人の太鼓持ち」などと馬鹿にされておりました。
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