【新】『東大阪むかしむかし』
前編 The Way Higashiosaka curry bread

東大阪と掛けてカレーパンと解く・・・
そのこころは、
市内にカレーで有名なハウス食品の本社があって、聖地・花園ラグビー場のラグビーボールに似た形をしているからや。
そういう俺は、カレーパン。
そして俺が東大阪の名物と認められるまでには、長い歳月と人知れぬ苦労もあったんや。
え?話聞きたいって、ほな、ぼちぼち語ろか・・・
カレーと言えば、生まれはもちろんインド。
せやけどインドにカレーと言う料理はないねん、日本ではお母んが味噌を合わせて我家の味をつくるように、インドでもいろんな香辛料を合わせて我家の味をつくる、その香辛料が合わさったんがカレーや。
19世紀、インドで食べたカレーの料理の旨さに病みつきになり、イギリスに持ち帰ってカレー粉の会社をつくった二人の男がおった。
エドモンド・クロースとトーマス・ブラックウェル、世界ではじめてカレーを調合済みの商品として売り出したんや、その会社は缶のカレー粉で有名なC&B社や。
C&Bカレーが日本にやって来たんは明治のはじめ、米のご飯に会うことから「少年よ大志を抱け」のクラーク博士がライスカレーと名付けて札幌農学校の学食に採用したんや。
調理に手間が掛からへんところから海軍にも採用され、兵隊だった兄ちゃんたちが軍での味を忘れられず田舎に持ち帰って作ったことで日本中に知られるようになったんや。
そうなるとカレー粉が輸入品ばかりでは具合が悪い、国産カレー粉をつくらないかんとなった。
明治38年、大坂道修町の薬種問屋・今村弥が「洋風どんぶり、家でも作れまっせ!」というコピーで日本初のカレー粉を売り出した、現在のハチ食品や。
これがよう売れて、後の世まで語り草になったほどや、ほならと他の会社も次々とカレー業界に参入してきたんや。
大正15年、大坂松屋町の薬種問屋・浦上商店が、布施市に工場を拵えてカレー粉の生産を開始した、浦上商店、現在のハウス食品㈱やな。
工場のあった河内小阪周辺はカレーの匂いが立ち込めていたそうや。
ハウスカレーは、各地の百貨店にチンドン屋といっしょに社員が出向き実演販売して歩いて、日本全国津々浦々の食卓にカレーを広めていったんや。
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