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【新】『東大阪むかしむかし』

河内キリシタン年代記

河内キリシタン年代記(前編)

飯盛山

 戦国時代、河内の国はキリスト教が盛んな土地でした。

 

 遠くヨーロッパから堺に来た宣教師たちは、まず京都へ向かいましたが治安の悪い都での布教は思うに任せず、いきおい布教の中心は京への道筋にあたる河内となりました。

 

 永禄年間、織田信長が京都に上ってくるまでの間、足利幕府の実権をにぎっていたのは「三好長慶」

です。

 

 長慶は1560(永禄3)年、現在の大東市・四条畷市にまたがる飯盛山に城を築き、天下に号令を出す本拠地としました。

 

 飯盛山の眼下に広がる巨大な深野池は大阪湾へとつながり、山裾には京都からつづく東高野街道がはしる水陸要衝の土地です。

 

 この山を長慶は南北650m東西400mの最新式・石垣積み(当時はまだ土塁の城ばかり)の大城塞につくりあげ、キリスト教の布教を許しました。

 

 3年後の1563(永禄6)年には、この城で長慶の有力な家臣、池田丹後守教正ら73名が洗礼を受けるまでになりました。

河内キリシタン

 三好長慶自身はキリシタンではなかったのですが、飯盛山城内や深野池湖上の三箇城に教会堂を建て布教の便宜を図り、布教の妨げを禁じました。

 

 宣教師のフロイスやオルガンチノらが飯盛山を訪れ、各地から信者も集まり、飯盛山城下の岡山などには異教徒がいないと言われたほど、「河内キリシタン」の聖地となりました。

 

 三箇教会は「大きな湖にある島の教会」と宣教師に本国まで報告されたほどで、教会ではクリスマスとイースターには格別力を入れ、1572(元亀3)年のクリスマスにはオルガンチノ宣教師が子どもたちへ説教し、イースターはマテウス修道士の胡弓の演奏や宣教師たちの賛美歌で壮大な復活の祝いがなされたそうです。

 

 このときは深野池で、六十隻の飾り立てた舟でイースター・パレードがおこなわれ、二百隻の漁師の舟に乗って三千名もの見物人が集まったそうです。

 

 イースター・パレードは、これより15年間、深野池で行われ河内の風物詩として親しまれたそうです。

 

 三箇教会は発展し、近くにゴシックの三角の塔をもつ教会をも建てました、その土地は「角の堂」と呼ばれ、のち「住道」の町へと発展しました。

 

 イースター・パレードの終わった15年後、飯盛山城の華やかな時代もおわりました。

 

 三好長慶亡きあと、天下の実権は織田信長へと移り飯盛山城は廃城となり、三好家を継いだ義継は信長の軍門に下りました。

 

 こののち河内キリシタンの中心は飯盛山城下の岡山、三箇に替わって若江と八尾に移っていったのです。

※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。