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【新】『東大阪むかしむかし』

おとなの奈良街道

おとなの奈良街道(後編)

瓢箪山

これほど栄えた松原宿も、明治・大正となり大阪鉄道(現・JR関西本線)や大阪電気軌道(現・近鉄)が開通されると、奈良街道を歩く旅人がめっきり減り、宿場に泊まる人もいなくなりました。

 松原は、宿場町から農村へと戻っていったのです、それに代わって賑わいだしたのが「瓢箪山」であります。

 御一新までは、田舎の神社にすぎなかった「瓢箪山稲荷神社」が、宮司の発案になる「河内瓢箪山・恋の辻占」で一世を風靡するようになると、明治20年ごろはたった2軒のお茶屋と旅籠しかなかった参道が、明治末年には30数軒にも増え、明治35年の「大阪遊覧案内」には、「瓢箪山の稲荷社は、あぶりだしの辻占を以て名高きところ」と紹介され、「瓢箪山の辻占売り」は大阪の夜の風物詩となりました。

 奈良街道の参拝ルートは、お伊勢さんから瓢箪山稲荷へ変わっていったのです。

辻占

「辻占」は水商売の姐さんたちに大変人気があり、辻占売りたちにとって大阪五花街はいちばんのお客さまであり、一攫千金を狙う堂島の相場師たちは直接占ってもらいに大阪市内から箱殿まで奈良街道を馬車に乗って瓢箪山へ参りにゆきました。

お稲荷さんでお告げを聞けるのは夜中でしたから、とうぜん瓢箪山泊まりになり、旅路のつれづれに旅館の女中に戯れたりするので、旅館のほうでもそれ用の女を置くようになってきました。

「願い事ありての参詣者は十の内一、鬼の目を離れて命の洗濯とばかりに午の日の如きに至っては酒気紛々として喧嘩狼藉で殺風景も極まった」と伝えられて、付近の旅館・飲食店では白粉のあつい酌婦をかかえ、参詣者の袖を引かせ「瓢箪山稲荷皆お茶屋 茶屋の二階で三味が鳴る」と、瓢箪山は大阪人の、人目を離れた遊び場として人気を集めたのです。

それも大正3(1914)年に大軌(現・近鉄電車)が開通して「瓢箪山駅」が出来ると、お詣りの後一泊遊んで帰るというパターンが崩れだし、追い打ちをかけるように終戦後の児童福祉法・売春防止法で辻占売りや遊郭がなくなったため、瓢箪山の名を高らしめた「恋の辻占」も歴史の彼方へ忘れ去られ、瓢箪山の「おとなの遊び場」としての歴史はここに終わりをつげました。

その後、奈良街道いや東大阪の「おとなの遊び場」は、終戦後に布施戎神社が出来たころ、「布施新地」が開かれ新地自体は数年で廃れたのですが、これをきっかけとして布施へと移っていったのです。

※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。