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【新】『東大阪むかしむかし』

線路はつづくよ人も来た

線路はつづくよ人も来た(後編)

額田山荘

 それまでにも、第一次大戦の好況による土地投機ブームで、大軌沿線には11もの土地会社がありましたが、ほとんどが泡沫会社で、瓢山土地会社を合併した関西土地と日本住宅土地会社、石切土地会社のみが残っただけでした。

 

 瓢山土地会社が取得した土地なぞは宅地化できず、ほとんどが小作地や養魚場だったそうです。

 

 大軌は沿線住宅開発のはじめとして、東大阪土地会社所有の約6万坪 と大軌所有の土地約9万坪と合わせて、約15万坪の経営からスタートしました。

 

 昭和3年、住友と共同で山本住宅地を開発、同じころ菖蒲池の分譲も開始、上本町からもっとも遠いにもかかわらず沿線随一の規模で開発がすすめられました。

 

 瓢箪山でも昭和4年に現在の昭和町・本町で庭付き1戸建ての住宅の分譲がはじまり、昭和10年には、低湿地であった神田町・御幸町も住宅造成が進められました。

 

 昭和7年には、額田山荘の分譲もはじまりました。

 

 「背に生駒の霊峰を負ふて河泉の平野一眸の内に収め、上下水道は勿論経営地内に小公園、児童遊戯場、日用品売店テニスコート等の設備もあり近代住宅地としての文化衛生設備よく完備し、而も附近に池あり林あり明媚な自然の風光は四時その様を変へて住む人を楽しませ、土地高燥、空氣清澄な健康地」であると案内して、住宅展覧会も開催して大阪市民に額田への転居をうながしました。

近鉄王国

積極的な開発によって大軌沿線には大阪の中小工場が進出し、沿線各駅は近辺から大阪のベッドタウンとして開けてきました。

 

昭和10年前後は、大軌だけでなく他の私鉄沿線でも盛んに宅地開発が進められた時期ですが、後発の大軌には他社と差別化できる強みがありました。

 

 「中河内は水が無い、郊外居住を営むには余りに無趣味で景勝の地ではない」などという沿線にはマイナスイメージがあったので、他の沿線に比べて宅地価格が一番安かったこと。

 

 山本 ・額田 ・菖蒲池などのように計画的に駅や宅地開発を行ったことや、転居者には上本町駅までの1年間の定期乗車券を配布したサービスなどで、鉄道会社であることをフルに利用したこと。

 

 宅地開発と並んでターミナルデパート経営をおこない、電鉄会社による沿線の地域社会の形成ならび支配という戦略をもっていた点でありました。

 

 第二次大戦後も、大軌、いや近畿日本鉄道の沿線は、幾たびか開発ラッシュをむかえ人口の爆発的な増加をむかえました。

 

東大阪から、かっての田園風景はあとかたもなく消え、線路につづいて人もやって来て、今に至る近鉄王国となったのでした。

※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。