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【新】『東大阪むかしむかし』

まちに映画館があったころ

まちに映画館があったころ 前編

映画の世紀

 

 みんな、映画は好きか?

 

 昔は、と言うてもほんの30年ばかり前までは、今みたいにスマホもなくて動画見るんはテレビに限られていた、せやから映画館で映画見るといえば別格や、ファッションや音楽やライフスタイルなどの流行はみな映画から生まれたンや。

 

人間は映画を発明したことで、字や絵と違う人間の動く姿をありのままに写し出すツールを手に入れた、もちろん歴史の記録だけやなく広告宣伝や物語をも語り、ハリウッド映画は世界を席巻して、人々は映画を見ることなしでは生活できんようになっていった、まさに20世紀は映画の世紀や。

 

日本でも映画産業が興ってやな、東京のみならず大阪近郊でも西宮や芦屋、そして長瀬には東洋一の規模を誇った帝国シネマの撮影所も出来たんや。

 

ま、帝キネの撮影所はすぐに火事で焼けてもて、京都の太秦に移ってしもたんやけどナ・・・

 

もちろん撮影所だけやなく映画館もようけ出来た。

 

当時まだ田畑ばかりで草深い東大阪でも、布施小阪は早くから開けて人が増え、どんどん映画館が立ち並ぶようになったんや。

映画のまち、布施

昭和6年には御厨警察に映画館の営業願や建築届が殺到し、昭和11年には3軒の劇場のうち2軒が映画館やったそうや、残り1軒は寄席やったそやけど、それもつかの間いっきに映画館へと変わっていった。

 

当時の統計によると、

 

昭栄座  年間入場者数 115,648人

足代座  年間入場者数 102,407人

 

とあり、そのころの中河内郡の人口が248,949人なのでほぼ全員が年に1回は映画を見に来ているような勘定やな。

 

近所に東洋のハリウッドと呼ばれた撮影所があったせいもあってか、布施は映画館のまちとして発展していったんや。

 

終戦後の昭和30年代の映画の黄金時代、足代座こそ閉館していたが布施は一大興行街として20館以上の映画館がしのぎを削るまちになっていたんや。

 

昭栄座、リオン座、東劇、光楽座、朝日劇場、布施日劇、パール座、ヒカリ劇場、布施映画劇場

アルス座、大栄座、有楽座、富士映劇、等々・・・

 

むかしの映画館は今とは違い、2本立てや3本立てがあたりまえで、入替もなく好きな時に入って好きな時に出れる、弁当持参で1日中すごす人もいたほどや。

 

そのかわりスクリーンは客席の煙草の煙で曇っていて~なんと、映画館内は禁煙やなかったんやで~客席の床は食らいこぼしか、たえずべたべたしていて、トイレは臭くて汚いのが普通やった。

 

ヒット作にもなると座席が無くても客を詰め込んで立ち見させるのもよくある光景やったな。

 

昭和50年代になっても、映画館数こそ減ってはきたが、松竹系の昭栄座、東映系のリオン座、東宝系の東劇に各社いろいろ3本立ての光楽座、その他のポルノ映画館と、布施のまちはまだまだ大勢の観客を集めて賑わっていたんや。

※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。