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【新】『東大阪むかしむかし』

かわちのおばけばなし

かわちのおばけばなし 前編

砂かけ婆の木

 

今とちがい、昔の夜はくらかった、日が落ちるとあたり一面漆黒の闇。

 

外には街灯なぞ一切なく、自分の手先足先ですら定かではなくなります。

 

頼りになるのは月明かりに星明り、かりに提灯を下げていたとて、せいぜいが足元を照らす程度、一間先になにがあるかなぞ到底わかりません。

 

夜のとばりが落ちると、闇の世界がはじまるのです、明るい昼とはちがう、あやかしの宇宙が広がっていたのです。

 

砂かけ婆の木

 

 

玉串川が二つに分かれて流れる菱江川、川のほとりの岩田の村に一本の大きな「モチノキ」が聳えていました。

 

大の大人が三人、手を伸ばしてやっと抱くことができるほどの大きく太い木で、ところどころ子供が出入りできるほどの大きな洞があり、なにかそこに住み着いているのではと言われていました。

 

江戸時代も半ば、飢饉で大勢の人々が飢えていた頃の話です。

 

岩田村の領主は、普段の年貢に加えて御用金も別に差し出すよう、庄屋に命じてきたのです。

 

日照りで飢饉で作物の出来も悪く、そのわずかな作物でさえ台風で吹き飛ばされていたので、そんなお金どこにもあろうはずがございません。

 

涙まじりの嘆願も、役人たちいっこうに耳を貸そうともいたしません、さんざん庄屋をののしり、今月末までに御用金を用意せよ、出来なけば家族ともども牢にぶち込むぞと言って追い返したのです。

 

その役人たちが、勤めを終えての帰り道、例の「モチノキ」の下を通りがかりました。

 

 暗い夜道を提灯の灯で照らしながら歩いていると、なにやら風もないのにモチノキの木の葉がざわざわざわめきだしました。

 

 そして大粒の砂が、役人たちの頭に降りかかってきたのです。

 

 「なにやつ!」 「さては、庄屋か!姿を見せい!!」 とくちぐちにわめき、モチノキのまわりを照らしてみますが、何一つおりません。

 

その間にも、砂はばらばらと降り注ぎ、背中にも目にも口にもはいってきて、息をすることもままならないありさまです。

 

またひとしきり砂が降ったかと思うと・・・・

 

役人たちの頭の上の枝で、白い髪をふりみだして耳まで裂けた大きな口をした婆ぁが、今にも飛び掛らんばかりにしていたのです。

 

役人たちは、それを見るや恐怖の叫びをあげて、こけつまろびつ逃げ帰って行ったのでした

高安の牛鬼

平安の昔のことや、宇陀の里に夜ごと牛鬼が現れ、年若い女を捉えては食っておったそうな。

 

源氏の棟梁・源頼光は、頼光四天王の一人・渡辺綱を呼び出し牛鬼を退治するよう命じたんや。

 

一計を案じた綱は女装して牛鬼をおびき寄せ、そして出てきた牛鬼の腕を斬り落とした!

 

毛むくじゃらの太くて剛い腕。

 

綱は牛鬼が腕を取り戻しに来るかも知れぬと思い、高安山の麓の大きな木の下にこの腕を埋めたんやて。

 

埋めたこの塚を、「手塚」と呼んでいたんやが、いつしか訛って「千塚」と呼ばれるようになったんやて。

 

千塚には、もう一つ話が伝わっていて、村人が旱魃に苦しんでいたとき、旅の陰陽師が、天から火の雨が降ってきて地上のものを残さず焼き尽くすと占ったんや、そこで村人たちは、難をさけるため山麓にたくさん穴を掘ったんやて、その穴が千個あるので「千塚」と呼ぶようになったそうや。

※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。