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【新】『東大阪むかしむかし』

生駒の山に龍がいた!

生駒の山に龍がいた! 前編

龍の舞う寺

 

 天正11(1583)年のこと、セミの声が喧しい夏の朝、石を切り出す槌の音が生駒の山々にコダマしていた。

 

 切り出された石は、善根寺から船にのせられ、恩智川から寝屋川を経て大坂へと運ばれ、建設中の豊臣秀吉の大坂城の石垣に使われるのだ。

 

 石垣の石は、遠く小豆島や四国九州からも運ばれているのだが、やはり生駒石が一番、一番手近にあり、かつ粒子の細かく堅牢な石だ。

 

 生駒の渓谷や山道には、二万人にも及ぶ石工や人足たちが群がるように働いていたのである。

 

石工たちは、日下村の東の観音山へと取り掛かった。

 

 山の前には古ぼけた寺があり、土地の者の言うには、巌松寺という聖徳太子の創建になる古刹で、裏山を荒らすようなことをすると災いを受けるそうだ。

 

 そんな迷信など知ったことかと石工たちはたくさんのクサビを打ち込んでいった。

 

  が、どうしたものか?クサビがなかなか打ち込めない、やっと石を切り出し、なんとか気合を入れ石に引綱を掛け運びだそうとした時・・・ゴォーと地鳴りのような音がしたかと思うと、グラグラと山全体が揺れ出したのである。

 

 崖がドドッと崩れだし、大木がメキメキ倒れ、人足たちを深い谷へと飲み込んでゆく。

 

 石工や人足たちの絶叫がコダマする山頂をみると、天が、天がにわかにかき曇り、雷鳴が轟き、イナビカリが黒雲を引き裂き、その黒雲の間から・・・

 

 巨大な金色の龍が、身をくねらせて、天空を翔けてゆくではないか!

 

 そのあと叩きつけるような雨が、滝となって降り注ぎ、土石流となり、あらゆるものを飲みこんで流していった。

 

 時代は下って、貞享3(1686)年、激しい旱魃が続いた夏のこと。

 

観音山の巌松寺で高僧・奉宗禅師が雨乞いをしたところ、たちまち雨が降りだし、雨雲の中から再び巨大な金色の龍が姿を現わし、恵みの雨をもたらした。

 

 このことから、こののち寺の名前を巌松寺から大龍寺と改めたそうだ。

 

 瑞雲山大龍寺は黄檗宗の河内西国霊場28番札所として、現在もなお人々の尊崇をあつめている。

龍の舞う木

いまはむかし、生駒のふもと加納村の北の沼のほとりに、大きな「にりんの木」があった。

 

 村人たちは龍が昇るという言い伝えがあるその木を注連縄をはって大切にしていた。

 

 ある年の梅雨、大雨が何日もふり続き恩智川の堤が切れて大きな水害となり、7月に入ると反対に一滴の雨も降らず、川の流れは日に日に細くなり、村人たちの願いもむなしく、照りつける太陽は無慈悲に田畑を焦がしていた。

 

 そんな時、だれかが「にりんの木にお願いしたら龍が雨を降らせて下さるんちゃうか」と言いだし、人々は藁をもすがる気持ちで「にりんの木」にむかって雨乞いを始めた。

 

 すると願いが届いたか、もくもくと「にりんの木」から黒い雲が湧き出し、雷鳴が轟くと、黒い雲をまとった大きな金龍が「にりんの木」をよじ登るように大空めがけて昇っていくではないか。

 

 呆然と見上げる村人たちの顔にポツリポツリと水滴が落ちてきて、ごうごうと音を立てて雨が降ってきたのだった。

※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。