地元暮らしをちょっぴり楽しくするようなオリジナル情報なら、東大阪の地域情報サイト「まいぷれ」!
文字サイズ文字を小さくする文字を大きくする

東大阪の地域情報サイト「まいぷれ」東大阪市

親子で楽しむ 『東大阪むかしむかし』

その47  肝っ玉皇后、まかり通る2019/09/27

若江も額田も昔のはなしがいっぱいじゃ

肝っ玉皇后、まかり通る

むかし、すごい皇后さまがおったんや

鶏もたまには時間を間違えることがある。

しかしその日は間が悪く、皇后さまが熊襲(くまそ)征伐に出発する日でありました。

鶏の鳴き声を合図に生駒山を越えたところ、あまりに早く鳴いたため、「暗がり峠」へ着いても夜が明けず真っ暗だったのです。

皇后さまは怒り、鶏をみな川へ流してしまい、以来、生駒では鶏は食べるけど飼わなくなったそうであります。

 その皇后さまとは、神功皇后。

第14代・仲哀天皇のお后で応神天皇の母、名をオキナガタラシヒメノミコト(息長帯比売命)と呼ばれます。

 夫の仲哀天皇とともに軍を進め、筑紫(つくし)までやって来たところ、皇后さまに突如、住吉の神さまが降りてきて、「熊襲より新羅を攻めよ」と告げられました。

 しかし天皇は、そのお告げを信じず熊襲を攻撃したところ、あえなく敗れ、そのせいか崩御されてしまったのです。

皇后さまは、海を渡ったんや

 皇后さまは、天皇が神の言葉を信じなかったためだと嘆きましたが、男装して自ら軍を率いて海を渡り、新羅の国を攻めました。

 このとき皇后さまは、お腹に応神天皇を身ごもってましたが、石を当ててさらしを巻き、出産を遅らせて指揮をとられました。
 
 その勢いに新羅は降伏し、高句麗や百済も貢物を捧げることを約束したといいます。

 まさに肝っ玉皇后ですね。

凱旋の途中、やっと穴門(山口県)まで帰ってきたところ、「豊浦宮(とゆらのみや)」の行宮で産気づいて応神天皇を産み落とされました。

皇后さまは、ほんで鏡を埋めたんや

 皇后さまは、三韓征討の成功を祝して、住吉の神さまに生駒山を寄進され、生駒山は住吉大社の神南備山となりました。

 帰り路、皇后さまは、神南備・生駒山の西の河内湖を航行中、若江という入江に立ち寄り、湖畔の高台に鏡を埋めて塚を築かれました。

 その塚は「鏡塚」と呼ばれるようになり、今の「若江鏡神社」の境内の一角に残されています。

 若江近辺には皇后さまの言い伝えがたくさん伝わっていて、鏡神社には他に、「神功皇后のころ、雷神が誤って神前に落ち、神の怒りにふれて天上に帰れなくなったので、二度と落ちない約束の手形を神前の石に捺して天に帰った、これゆえ若江村には雷が落ちないという。」という「雷神の手形石」があります。

 鏡神社から若江岩田駅を北へ行った「石田神社」には、「欽明天皇の時代にここを開拓した際、全長50mあまりの岩船が掘り出され、船の上に神功皇后と仲哀・応神の天皇父子があらわれたので、祭神としてまつり石田神社を創祀した。」という言い伝えが残されています。
 
 「石田神社」、 石田と書いて「いわた」と読みます、岩田村の「いわた」です。

 神功皇后は子宝・安産の神さまとしてまつられていて、皇后さまのように妊婦がお腹に巻くのが「岩田帯(いわたおび)」、石田(いわた)神社ともなにか繋がりがあるのやも知れませんね。
 
岩船は、ふたたび地中深く埋もれてしまったようですが、昭和38年まで神社の北の水田の中にあった二つの丸い塚が、その岩船の残骸であると伝えられていて、東の塚を「幸神塚」、西の塚を「無名塚」といい、魔除けの塞の神として祀られていたそうです。

ほかにも、西岩田の三十八神社(みそやじんじゃ)、上小坂・森河内・箕輪・古箕輪・稲田の八幡神社、鴨高田神社、長田神社、本庄の六郷神社、そして岩田の真隣りの稲葉神社、いずれも神功皇后やゆかりの神さまをまつっていて、この地域での皇后の足跡のおおきさがうかがえます。

皇后さまの子孫は額田に住んだんや

近鉄奈良線、「額田」。

「額田氏」が開拓した土地だから「額田」。

その額田氏をたどると、神功皇后の孫で応神天皇の息子・額田大中彦皇子(ぬかたのおおなかつひこ)にあたります。

弟が日本一でかい古墳に祀られている第16代・仁徳天皇です。

額田氏は伊勢や三河・美濃・備後・筑前など日本のあちこちを開拓し、あちこちの土地に 「額田」と名付けました。

 そして父祖・応神天皇の生まれたのが、「豊浦宮」。

「額田」のとなりは「豊浦」。

おもしろいことに額田氏の開拓した土地には「額田」と「豊浦」の地名がワンセットで付いているようです。

皇后さまの血には太い肝っ玉が流れてるんや

額田のとなり日下の町には、日下神社という小さなお宮さんがあります。

 ご祭神由緒などはよくわからないそうですが、一説にはここに住んでいた「若日下部王(わかくさかべのみこ)」であるともいわれているそうです。

 「若日下部王」または「若日下王」、実は男子ではなく、れっきとした女の人、お姫さまなのです。

父は仁徳天皇、母は髪長比売(かみながひめ)、ということは神功皇后の曾孫に当たりますね。

 そして第21代・雄略天皇の皇后さまでありました。

 雄略天皇は大悪天皇とも称された凄い暴君で、葛城山の一言主の神さまと喧嘩して勝ったというエピソードまであるほどの天皇です。

 ある日、

天皇が狩りの途中、怒り狂った猪が飛び出してきたことがありました。

 舎人(とねり)に迎え討てと命じたところ、舎人は怯えて木に登ってしまったので、天皇みずから弓をもって仕留めました。

 天皇は怒り、その舎人を斬ろうとしたところ、若日下部皇后は天皇をお諫めになって、
「いま陛下が猪のことで舎人をお斬りあそばせば、陛下は獣と異なりません、これは良くないことではないでしょうか。」
とおっしゃられたので、天皇も気を取り直し「人はみな獣を狩るが、朕は狩りをして良い言葉を得たのだ。」とおっしゃられたそうです。

 また、

 天皇が新しい愛人を得た祝いの酒宴で、ひとりの女官が粗相をしました。

 天皇は激怒して、即刻首を刎ねようとしたのですが、若日下部皇后動ぜず天皇をとりなし、仕切りなおして歌を唄ってその場をおさめたそうです。

 まぁ、なんと肝のすわった女性でしょう、さしもの雄略天皇も若日下部皇后には一目置いていたようです。

 まさに肝っ玉皇后、さすがに神功皇后の血筋はあらそえませんね。
 
おはなし  ひょこタンのパパ
(その47おしまい)


その48をお楽しみに!

バックナンバーはこちらから

                                 

この記事に関するキーワード

PICK UP 東大阪のお店 ~学ぶ・スクール~

  • 大阪府立布施工科高等学校

    大阪府立布施工科高等学校

    東大阪市宝持3-7-5

    [ 高等学校 ]
    布施工科高校は、ものづくりの街、東大阪にある工科高校です。

  • 永塾

    永塾

    東大阪市永和2-2-32 TKビル2階

    [ 個別指導学習塾 ]
    新規生徒募集中! 個別指導学習塾「永塾」 河内永和駅よりすぐ。

  • NPO東大阪青少年スポーツ育成クラブ

    NPO東大阪青少年スポーツ育成クラブ

    東大阪市日下町1-10-8

    [ スポーツ事業(コ-チング) ]
    スポーツを通じて 健全な家庭環境をつくるために活動しています。

  • ダイオン音楽教室

    ダイオン音楽教室

    東大阪市花園本町1-6-11 三鈴ビル3階

    [ 音楽教室 ]
    ピアノ・エレクトーン生徒募集中! 子供~大人まで

  • HOS 小阪フィットネスクラブ

    HOS 小阪フィットネスクラブ

    東大阪市下小阪2-11-1

    [ フィットネスクラブ・スポーツジム ]
    小阪フィットネスクラブは天然温泉が併設した施設です