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親子で楽しむ 『東大阪むかしむかし』

その29  ヤマトの河内のおおきなお寺2017/12/24

むかーしむかし、近鉄瓢箪山から山の方へ行くカーブの横に大きなお寺があったんじゃ

ヤマトの河内のおおきなお寺

こんでら

「むかしむかし、ここには こんでら と言う大~きなお寺があったんじゃ」

 瓢箪山駅を北へ、サンロード商店街を東へ向かい、客坊町のガードのすぐそばに「河内寺」のあとがあります。

客坊町の名前の謂れは、そのむかしこの土地に「河内寺」と言う大きな寺院があり、百の宿坊を擁していたところから百坊、それがなまって客坊と呼ばれるようになったと聞いています。

 その百の宿坊を持つ大寺院とは、7世紀なかばに建てられた「河内氏」の氏寺であり、そのころ最新の四天王寺様式で建立され、北から南に一直線に講堂・金堂・塔・中門が並び、四天王寺の三分の二にもおよぶ大伽藍だったそうです。

「こんでら」の名は、おそらくおおきな金堂からきたと思われ、まだ竪穴住居に住んでいた当時の庶民たちにとって、びっくりするような近代的な建物だったのでしょう。

日本、誕生

7世紀の頃。

 当時の東アジアは、朝鮮半島の動乱の影響で混乱しており、新羅が急速に台頭し、百済と対立するようになりました。

 660年、新羅・唐連合軍によって百済は滅亡し、ヤマト朝廷は百済の遺臣に協力して朝鮮半島に出兵、47,000人もの兵力でもって白村江にて新羅・唐連合軍と大海戦におよびました。

 結果は目も当てられぬ大敗北、天智天皇は、急きょ新羅・唐連合軍の侵攻に備え、ヤマトの防衛体制を整えます。

 城を築き、防人を配し、そしてヤマトではなく、国号を正式に「日本」と定めました。

 国家存亡の危機を迎え、あえて強く国威を掲げたのです、そしてその国号を唐に知らせに行く大任を、「河内氏」が任されたのです。

 「河内直鯨(かわちのあたいくじら)」が遣唐大使として唐へ派遣されました。

その功でもって、天武天皇の時代、姓(身分のこと)を直(あたい)から連(むらじ)へと大きく引き上げられ、河内郡の大領(たいりょう・知事のこと)に任命されました。

 この河内氏の興隆期に「河内寺」は創建されたのです。

 「河内寺」が建てられた場所は、河内湖の湾岸道と生駒越えの東西道の交差する水陸要衝の地で、河内の中心地として、「河内氏」はそこの支配者として勢威をふるっていったのです。

渡来人たち

 さて、この河内氏、この氏族はどういった氏族だったのでしょうか?

 河内氏とは、 西漢氏(かわちのあやうじ)の支族で朝鮮半島の「伽耶(かや)」から河内国に渡来してきた氏族です。

 もとの西漢氏は、渡来人の漢氏 (あやうじ)の流れで飛鳥の東漢氏(やまとのあやうじ)と河内の西漢氏の両系にわかれていました。

 漢氏とは、いくつもの小氏族が連合した複合氏族であり、相次いで渡来した人々が、共通の先祖伝承に結ばれて次第にまとまっていったものと考えられます。

先に渡来した人たちが、新しい技術を携えたあとから渡来してきた人々を受け入れ、大きな氏族となっていったのです。

河内の国はかれら渡来人の力で開発され、じつにこのころ河内人の三分の一が渡来人だったといわれています。

河内氏

 「河内氏」の名は、5世紀なかごろに造られた「隅田八幡神社人物画像鏡」の銘文に「開中費直(かわちのあたい)」と刻まれていて渡来人たちを指揮して鏡の鋳造に携わっていたことがうかがえます。

 また同じころ、朝鮮の史書「百済本紀」に「任那日本府」の執事として 「加不至費直(かわちのあたい)」 の名前が見受けられます。

 「任那日本府」とは、ヤマト朝廷が朝鮮の「伽耶(かや)」に、百済との外交のために設置した機関であり、「加不至費直」は伽耶人の父と倭人の母との間に生まれた混血児で、異母兄弟の阿賢移那斯(あけえなし)と佐魯麻都(さろまつ)と共に、ヤマトのために働いたために百済王の不興をかい、ヤマトに追放されたと記されています。

 「加不至費直」はヤマトに帰化し、河内に居住し、河内湖の開拓などで地方豪族としての力をたくわえていったもののようです。

 そして7世紀、「河内直鯨(かわちのあたいくじら)」の代に一族の全盛期を迎えたのです。

消えた大寺院

 しかし「河内氏」の栄華も長くは続きませんでした。

 奈良時代の河内連三立麻呂のときに最高位の「和泉守」に任命されたのを最後に、その名を聞くことはまれになり、平安時代に入るやぷっつりと消えてしまいました。

 そうして「河内寺」も最後のときを迎えます。

 鎌倉時代末期のある日、山麓を流れ下る土石流に飲み込まれ、その姿を消してしまいました。

 わずかに残った坊舎も、中世の戦乱の時代を迎え、要塞化されてゆき、「客坊城」として水走氏、や楠木氏、畠山氏と主を替えてゆきました。

 その「客坊城」の最後も、室町時代の「大乗院寺社雑事記」の文明九年の欄に河内守護・畠山氏の内紛で攻められ焼け落ちたと記録されています。

 昭和になって発掘されるまで、客坊村の人々の「むかしむかし、ここには こんでら と言う大~きなお寺があったんじゃ」という口伝えのみを残すだけになってしまったのでした。

 やっと昭和48・49年の発掘調査で、その存在と全貌が明らかにされ、現在史跡公園として整備されたのです。

おはなし  ひょこタンのパパ
(その29おしまい)


その30をお楽しみに!

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