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親子で楽しむ 『東大阪むかしむかし』

その16  織田信長の首をとれ!2016/10/05

むかーしむかし、河内に惣村(そうそん:ムラ)が産まれたんじゃ

織田信長の首をとれ!

百姓ノ持チタル国

永禄11年、織田信長は天下統一の夢を果たすべく入京しました。

大和・摂津・河内などで敵対勢力と戦いをくりひろげ、着々と支配下にくり込んでゆきました。

 ところが!

「諸国ノ百姓、ミナ、主ヲモタジ・・・・」と、信長の支配を拒否して、農民の結合による社会を作るべく、信長の前に立ちはだかった者たちがいたのです。

浄土真宗の一向一揆でありました。

信長入京の二年後、一向一揆の総本山、「大坂石山本願寺」は、戦いの火ぶたを切ったのです。

十年にわたる石山戦争のはじまりでした。

ムラの誕生

戦国時代、世の中は乱れていました。

しかし、それゆえに、古来からのしきたりがくずれてきたのです。

それまでは、大きな寺社や貴族が「荘園」をもち、農民を農奴としてこき使っていました。

しかし農民たちは下克上の波に乗り、財力を蓄え、武装し、寺社や貴族から独立して、農民それぞれが団結して「ムラ(惣村)」を作り出してゆきました。

足代・高井田・若江・吉田・池島・額田・四條、等々の現在に至る、農民自身が仕切る「ムラ」はこの時期に成立したのです。

その「ムラ」の精神的な拠り所として「浄土真宗」は浸透してゆき、信長に対抗する勢力となってゆきました。

若江村では、仏壇の掛け軸を首にかけると鉄砲の弾がよけるといって戦に出た人たちの逸話が伝えられ、四條村では寺に集まっては威勢をあげ、各村と信長との緊張関係はますます厳しくなってゆきました。

高井田村の戦い

信長は若江城を拠点に、周囲に数か所の砦を設けて石山本願寺を攻め続けていました。

しかし、本願寺側の士気は高く、合力する雑賀の鉄砲衆や一向一揆の襲撃で連日苦戦をかさねていました。

天王寺の陣中において信長は、なんとしても雑賀衆を討たねばならないと考え、援軍を集めるため京へと向かおうと考えました。

現在の布施の本町通りから放出街道は、当時「剣堤」という高い土堤道であり、その東側には同じ高さの「卯の堤」、両堤の間は「布施井路」という運河でした。

天正5年2月9日早朝、信長は供回りおよそ100人の兵をしたがえて四天王寺を出発し「剣堤」を北へ進み、奈良街道へとやって来ました。

当時、足代村には、小寺美濃守宗衛門高仲という地侍がいて、本願寺に味方していました。

「剣堤」は足代のど真ん中、高仲は自分の膝元を敵の総大将がわずかの兵で通過する、これを討たねば武士の面目が立たず、また名を上げる絶好の機会でもあります。

弱冠18歳の高仲は気負いました。

「しかしどこで襲撃するか?」

足代で決行するなら、信長は高い堤の上、下から這い上がって襲うは愚の骨頂。

足代の北、東高井田村でも、奈良街道が久宝寺川と交差するため、堤防は非常に高く、こちらのいる西側からは登り坂、足代の場合と条件は同じであります。

その点、西高井田村は奈良街道の方が低く、襲撃するには、まさに西高井田以外にはありえません!

ただ2月9日といえばまだ寒いころ、草木も枯れ、民家もほとんどない寒村の西高井田では、身をひそめるためには、村の南西にある三角のため池以外には無かったのであります。

そこは、北側の堤が20メートルほど高く、土手の裏に潜んでいれば見つかる心配がなかったので、一族はそこで待ち伏せることに決めました。

このとき高仲の手勢、およそ100人、もしくはそれより少なかったやも知れません。

鬼火の出る村

「むかし、塩川の戦いが終わってからやなぁ、念唱寺の場所にはさらし首があって、夜な夜な人魂が飛んだそうや」

西高井田村では、語り伝えられてきました。

塩川の戦いとは高井田村の戦い、さらし首は小寺高仲の首でありましょう。

西高井田の奈良街道において、小寺高仲は織田信長を奇襲しました。

信長も予期せぬところからの不意の攻撃に、一時は危険な状態に陥ったそうです。

が、供回りは歴戦の勇士たち、襲撃側の不慣れもあって、最後には一方的な敗戦となりました。

信長は「一人も逃すな!!」と声をあげたそうです。

高仲は、信長の供回りの飯島太郎左衛門という者に討ち取られ、首を揚げられました。

わずか18歳で戦場の露と消え、一族ことごとく討ち果たされ、民家の周囲には死体が散乱して凄惨な有様だったそうです。

西高井田の村人たちにより多数の死体は一か所に土葬されました。

梅雨時には五酸化燐が立ち上がり、鬼火がただよったのを見た村人は、その場所に地蔵石と観音石を祀り供養したそうです。

その後小寺家は、家名は断絶し領地は没収され、のこされた者は高仲の母方の塩川を名乗り、東足代に移住しました。

現在、高井田の念唱寺の北西隅にある石碑は、塩川の戦いを伝え、小寺一族の霊を弔うものであると聞きます。

飯島太郎左衛門は高仲を討ち取った功により、高井田村の庄屋に取り立てられ、大坂夏の陣では木村重成の軍に従軍して戦死しました。

夢の終焉

こののち信長の圧倒的な軍事力の前に各地の一揆はことごとく敗れ去りました。

そして、天正8年。

本願寺の教主、顕如はついに石山本願寺を開けわたし、ここに「百姓ノ持チタル国」の夢は歴史のかなたに消えたのです。
おはなし  ひょこタンのパパ

(その16おしまい)

その17をお楽しみに!

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