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親子で楽しむ 『東大阪むかしむかし』

その15  ここ(東大阪)から日本がはじまった2016/09/20

むかーしむかし、河内の国は大きな湖の底だったんじゃ

日下から日本がはじまった

鳥見の里

東大阪を東へ、生駒の方に日下という町があります。

実は、この日下から、日本の国がはじまったのを知っています?
今より2600数十年まえのことです・・・・

当時、河内平野は「河内湾」という大きな入江で大半が海の底でした。

人の住める陸地は、生駒の山麓だけで、生駒山を中心としたその里を「鳥見の里(とみのさと)」と呼んでいました。

この地に住んでいたのは人々は、「鳥見一族(とみいちぞく)」、狩りや漁りに長けた、背が高く逞しい体をした「長髄の者(ながすねのもの)」と呼ばれる勇者たちでありました。

天孫降臨

神々の国・高天原では、アマテラス(天照大神)が、孫のニギハヤヒノミコト(饒速日尊)を呼び出し、新しい国づくりを命じました。

ニギハヤヒは「天磐船(あまのいわふね)」に乗りこみ、船出し、瀬戸内海を通って、河内湾に入り、そして生駒山を見つけました。

「この国は、まさに日の出るところではないか、そうだ!この国を「ひのもとのくに」と名づけよう」と言い、日本(ひのもと)と名付けたのです。

鳥見一族の首長・ナガスネヒコ(長髄彦)は、突如としてやってきたニギハヤヒにびっくりし、こやつは何者と警戒します。

しかし、ニギハヤヒが「日の御子」であるのを知ると、ニギハヤヒの徳の高さに打たれ、妹・ミカシキヤヒメ(三炊屋媛)の勧めもあって、彼に仕えることに決めました。

ニギハヤヒのもたらした、鉄製の道具や武器、また稲つくりや織物の技術は鳥見一族を驚かせ、一族はニギハヤヒの指導のもと、水田をひらき稲作がはじまったのです。
 
ニギハヤヒは、ミカシキヤヒメと結ばれ、長男・ウマシマデノミコト(可美真手命)が誕生しました。

孔舎衛坂

そのころ、日向の高千穂には、カムヤマトイワレヒコノミコト(のちの神武天皇)がいました。

イワレヒコの曽祖父はニニギノミコト(瓊瓊杵尊)、アマテラスの孫でありニギハヤヒの兄弟でありました、
そうです彼も「日の御子」の一人なのです。

「東に美しい国がある、私はそこへ行って都をつくりたい」と言って、兄のイツセノミコト(五瀬命)とともに、船出をし、瀬戸内海を東へ東、河内湾を越え、とうとう生駒山が見える所までやってきました。

イワレヒコとイツセたちは山裾に上陸するや、軍を東へ向け、生駒山を越えることとしました。

ナガスネヒコは、この突然の侵略者に驚き、イワレヒコたちを迎え撃つべく、「孔舎衛坂(くさえざか)」において迎え撃ちます。

「孔舎衛坂(くさえざか)」は、現在の善根寺町。

坂を上ってゆくイワレヒコ軍に、ナガスネ軍は坂の上から逆落としに矢を射かけます。

空に黒雲がおおわれたかと思うほどの矢の雨の中、イツセは肘に矢傷を負い、イワレヒコも大きな楠木の樹の陰に隠れて命拾いしたのです。
 
イツセが負傷したのが「厄山」、そのそばの「竜の口霊泉」で彼は傷を洗ったと伝わっています。

イワレヒコは「樹の恩、母の如し」と言い、その地を「母木邑(おものきのむら)」と名付けたといいます、「母木邑(おものきのむら)」は、現在の豊浦の新町だといわれています。

大激戦の末、イワレヒコ軍は総崩れとなり、敗走しました。

イワレヒコは、撤退して来ると、
「わたしは、日の御子であるにもかかわらず、その日に向って矢を放ったのが、こたびの敗因であり、まことに天の道に逆うことであったのだ。
 一旦、引き揚げて、ふたたびもどって来よう、つぎは、攻め入る方角をかえ、神を祀り、のぼる朝日の神の威を、われらが背に背負いて戦おうぞ!」と宣言しました。

そして、イワレヒコは、戦勝を祈願して、神津嶽に磐境(いわくら)を設けて、天児屋根命(アメノコヤネノミコト)・比売御神(ヒメミカミ)の二柱の神さまを祀りました。

この磐座が枚岡神社のはじまりで、神武即位3年前と伝えられ、このとき手植えた柏槇(びゃくしん)は大木となり「枚岡神社」の境内にその幹が残されています。

 次は、紀伊水道を通り抜け熊野から迂回をして生駒を東から攻める計画で、船べりに楯をたて並べ雄たけびを上げました。

この船出した津(港)は、のちに「盾津」と呼ばれるようになりました。

船出のとき、突然の生駒おろしで舟は高波にのまれて煽られ、とうとう舵まで無くしてしまいました。

あわや難破というとき、近くの浜に上陸することが出来たので、イワレヒコは祖神に感謝し、その浜に祠をたてて祀りました、この祠が現在の「梶無神社」のはじまりです。

金色の鵄

航行の途中、兄のイツセは傷がもとでなくなりましたが、愁嘆の思いをふりきり熊野へとはいってゆきます。

イワレヒコは、向かってくる敵を次々と打ち滅ぼし、再び生駒山に向かって進軍を始め、再び、ナガスネヒコと相まみえることとなりました。

ナガスネヒコの後ろには、ニギハヤヒの子・ウマシマデが控えています。

ニギハヤヒなき今、鳥見の里の王はウマシマデが引き継いでいたのです。

雄たけびをあげて、両軍、激突します。

どちらも引かず一進一退、そのとき、一羽の金色の鵄(とび)がイワレヒコの弓の先にとまりました。

金鵄は眩いばかりの閃光で輝き、ナガスネヒコの軍は、あまりのまぶしさに眩惑されて戦うことが出来なくなりました。

ナガスネヒコはイワレヒコに、
 「われわれは日の御子・ニギハヤヒに仕えてきた、あなたも、日の御子を名乗っておられる、日の御子が二人もいるのはおかしいではないか。」

イワレヒコ、ナガスネヒコに返し、
 「日の御子は大勢おられる、そなたの主君が日の御子であるなら、その証を見せてみよ。」

進み出たウマシマデは、父・ニギハヤヒの「天羽々矢(あめのはばや)」と「歩靱(かちゆき)」を日の御子の証としてイワレヒコに見せました。

するとイワレヒコも、同じく「天羽々矢」と「歩靱」をウマシマデに示し、お互いがアマテラスの子孫であることを認めました。

疑念の晴れたウマシマデは、イワレヒコに仕えることを決意し、ナガスネヒコに日の御子は人とは違うのであると説得しましたが、ナガスネヒコは納得がゆかず徹底的に戦うことを主張、ウマシマデはとうとうナガスネヒコを斬ったと伝えられています。

神武天皇

翌々年の正月、イワレヒコは大和の橿原で即位し、初代・神武天皇となり、ニギハヤヒ・ウマシマデに仕えた鳥見一族は物部氏(もののべし)となって天皇に仕えることになりました。

 そのあくる年、ウマシマデは、生地にニギハヤヒを祀り、これが「石切劔箭神社」のはじまりであると伝えられています。

おはなし  ひょこタンのパパ

(その15おしまい)

その16をお楽しみに!

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