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親子で楽しむ 『東大阪むかしむかし』

その13  山の根に怪しの火ともる姥ヶ池2016/06/20

むかーしむかし、枚岡の里に火を吹く生首が出たんじゃと

姥ヶ池伝説

火を吹く生首

およそ600年ほども昔の事でしょうか、河内の国は枚岡の里に伝わる物語です。

村の男が夜道を歩いていると、どこからともなく一尺ほどの火の玉が飛んできて男の顔をかすめてゆきました。

なんや!と思い、よく見ると、白髪頭の老婆の首が宙をただよい口から火を吹いているではありませんか。

男は肝を冷やし、家にとんで帰りガタガタ震えていましたが、数日後には死んでしまいした。

枚岡の森の怪異

村では寄るとさわるとこの話でもちきりで、噂は枚岡神社の神官たちの耳に入るまでになりました。

枚岡神社では、このところ御灯明が夜半に消えてしまう怪事件が頻発していて、「枚岡神社の御灯明は、河内一国を照らされるもの、なのにこれはいかがしたものか」と問題になっていました。

神官たちは、さてはこれこそが、かの妖怪の仕業であろうと弓・長刀をたずさえ深夜の見回りを始めたのです。


ただでさえ世の寝静まる深夜は不気味なもの、ましてや人気のかけらもないこの神域。
神官たちは、ひとかたまりとなり、おそるおそる足を踏み出します。

何の鳥か、怪しげな鳴き声もきこえ、ひときわ心細いモノでありました。

そうこうするうちに御神灯のそばまで来ると、闇の中から白い人影が姿をあらわします。

目をぎらつかせ、口が耳まで裂けた恐ろしげな山姥です。

神官たちは、気を失うほど驚きましたが、中に一人、気を持ち直して、弓にカリマタの矢をつがえ、ヒュッと射ると狙いたがえず、山姥の首をスパッと斬り落としました。

 「やった!」

と喜ぶのもつかの間、切り落とされた首が、口から炎を吐きながら神主たちに襲いかかってきたのです。

 「助けてくれ~」

神主たちは、社に逃げ込みますが、追いかけてきた首は社ごと焼き殺そうと火を吐き続けます。

もはやこれまでかと思う頃、東の方から日の光が昇って来て、社にも差し込んできました。

すると不思議や、宙を飛びまわっていた山姥の首は、虚空にかけ去り影も形も見当たりません。

なにはともあれ一難去った神官たちは、かの山姥の正体を知るべく、村の古老へ問いただしに行きました。

妄執の劫火

古老のぽつりぽつり語り出すところには、

かの山姥は、若いころ、「山家の花」と呼ばれたほどの器量よしで、村の若者たちのあこがれの的でした。

ところが人生とはわからないもので、何の因果か連れ添った男が十一人まで次々と死に失せ、それからは村人たちも恐れて言葉も交わしません。

八十八まで生きたが、往年の面影はなく、白髪の恐ろしげな老婆となっても、死ぬに死ねず貧しい暮らしをたてていました。

夜なべの油も買えず、悪いこととは知りながらも、神社の燈明の油を盗んでしまいました。

それを村人にとがめられたため、老婆は神社の境内の池に身投げして死んでしまったのです。

村人たちは、冷たいもので供養もせず、仏も野ざらしにして野犬や烏のついばむに任せていました。

それ以来、雨の降る夜には池の付近に青白い火の玉が現れ、老婆の妄執の火であると、「姥ヶ火」と呼ばれるようになり、大変怖がられるようになったのです。

霊鎮めの淵

話を聞いた神官たちは、村人たちと一緒に池のほとりに祠を建て、老婆の供養をするようになりました。

井原西鶴は、「西鶴諸国ばなし」にこの話を書き伝え、鳥山石燕は「画図百鬼夜行」に姿を画き記しています。

「和漢三才図絵」によると、その姿、高さ一丈ばかり、その形雌鶏の如く、くちばしからうめき声をあげ火を吐き、飛び去るというそうで・・・

その早さたるや、一里も離れているのに、わき見をする間もないほどの早さでやって来て、三里、五里と離れた里にも出没し、その火に肩を越された者は、三年以内に死んでしまうそうな。

その「姥が火」の池、枚岡神社の拝殿の北一丁のすぐ裏手、もともとは「見る沢の池」と呼ばれていた池で、この怪火が出て以来「姥ヶ池」として有名になりました。

姥ヶ池・大入御礼

さて、かように有名になった「姥ヶ池」。

どういうわけか、「かほどの妖怪変化一目見たや」と怖いもの見たさに、続々と人が見物しに来るようになりました。

里には、つめかける見物客を案内するものまで現れ、
「さあさあ皆の衆、あれなる池が、世に名高き『姥ヶ火』の出ずる池でございます。もはや八つの鐘もすぎたれば、そろそろ頃合いで出てくる時分、後々までの語り草、見逃しなきようよ~くご覧じよ。」 
と口上までのべる始末。

そうこうするうちに、夜空の雲がぼやっと光り、こどもの提灯ほどの火が、幾百筋も糸を引いてきりきりと舞い上がってまいります。

その様子、恐ろしくもあり面白くもあり。

「えらいもんやなぁ、こらコワいヮ~」と嬌声を揚げ感心するものもあれば、
「あの火はやな、近くに来よっても怖い事あらへんで、アビラウンケンて言うてアブラサシと呪文を唱えたら、たちまち消えてしまうんャ」、と、知ったらしく薀蓄を垂れる者もおり、

はては、「あの火、こっち来えへんかなァ、たばこの火ィほしいんや」とか
「火鉢にいれたら炭始末できるで」、
「あの火でお香たくと、さぞ芳ばしいで」とか好きなこと言うております。
「手ェ叩いたらこっち来よらんか?」と手まで叩きだす者もおるしまつ、

「あかんあかん、姥が火はんはやな、腐っても女子や、あんさんみたいなもんに来よりますかいな」

とワアワアやかましい事であります。

そのうち、オッチョコチョイが「姥ヶ火」掴もうと手を出すと、ひょいと躱され、頭に火が付き丁髷がコゲコゲとなって、一座大爆笑。

まぁいかにせよ、世にもおそろしきは妖怪変化などではなく「人間」そのものでありましょうか。

「姥が池」は、人間たちのあさましいありさまを横目に、今なお、その淵に深い水をたたえています。

おはなし  ひょこタンのパパ

(その13おしまい)

その14をお楽しみに!

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