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親子で楽しむ 『東大阪むかしむかし』

その12  河内のしごといまむかし2016/06/13

むかーしむかし、河内の村々では綿を育て河内木綿を織っておったんじゃ

河内の綿

「河内木綿」ことはじめ

室町のむかし、人々は「木綿(もめん)」と出会いました。

それまで着ていた「絹」や「麻」。
高級品の「絹」、夏こそ涼しいものの冬寒い「麻」。

それらに替わるこの衣料をはじめて着た感動を、後世「柳田国男」は「木綿以前のこと」と題して書き綴っています。

糸が太く、ごつごつした肌ざわり、しかし温かく、洗うたびに布地が滑らかになり、しかも長持ちすることから仕事着、暖簾(のれん)や幟(のぼり)、また蒲団(ふとん)地などに重宝されるようになりました。

それゆえ、この国でも栽培できないものかと、まず三河などで植えられはじめ、天正年間(1573~91)には生駒の山を越えて河内にまで広がります。

枚岡で、最初の「綿作」が始まりました。

大阪夏の陣の折り、枚岡・豊浦村の庄屋・中村家は、徳川家康の本陣となりました。

家康が逗留したのが、端午の節句であったので、当主・中村四郎右衛門正教は、織り上がった木綿の布を「菖蒲木綿」として献上しました。

「菖蒲(しょうぶ)」は「勝布(しょうぶ)」につながるといって家康はことのほか喜んだそうで、このときより、この地の木綿は「河内木綿」として、知られるようになってきました。

「河内木綿」ひろがる

「河内木綿」はさかんに栽培されました。

貝原益軒の「南遊紀行」には、「河内は綿を多く栽培し、とくに東の山のふもとあたりが多く、その綿から織った山根木綿は京都で評判となっている」と記され、元禄5(1692)年の六万寺村の記録には「女は農事の合間に、もめんを織り申し候」と書かれています。

そして、宝永元(1704)年には、「河内木綿」は大転機を迎えます。

世にいう「大和川付け替え工事」です。

「綿作」には、あまり肥沃な土壌は向きません、茎と葉ばかり成長して、花実の付き方が少なくなるからです。

そして、常に水はけが良いことと、日照りの時に灌水の便の良いことの二つは絶対必要でありました。

干上がった川床は「綿作」に最適の環境を用意してくれたのです。

大和川の旧川床が約1,000ヘクタールの新田となり、ここへ綿が栽培され、「河内木綿」栽培は山麓から河内平野へと広がり、ますます盛んに、さらに発展しました。

河内の百姓が「河内木綿」に情熱を注いだのは、綿作が稲作よりずっと儲かったからです。

綿作の生産性は稲作のおよそ二倍。

渋川村の記録によると米と綿の収益を比べると、米の一反当りの粗利益が銀79.5匁であるのに対して、綿は銀168.2匁にもなるのです。

平野郷では、宝永3(1706)年当時、耕地の実に6割に木綿が植え付けられ、久宝寺村に至っては、なんと7割にもなっていたと記録されています。

天保の頃には、「河内木綿」の全産出高は200万反以上に達したのです。

「河内木綿」おわりをむかえる

明治になると、外国から繊維の長い綿や細い糸が安い値段でたくさん入ってくるようになりました。

 「手工業」として手で紡いでいたのが、紡績の機械を用いると一度にたくさんの糸が紡ぐことが可能になります。

しかし、「河内木綿」は外国の綿に比べて繊維が短く、糸が太いため機械で紡ぐことが出来なかったのです。

そして明治29(1896)年、「綿花輸入関税の撤廃」が決まるや、「綿作」産業は終わりを告げ、「河内木綿」は大正の初めに姿を消すこととなりました。

「河内木綿」が最大の地場産業であっただけに、その衰退は河内の村々におおきな影響を与えました。

「綿作」からの転業を余儀なくされ、丁稚奉公に出る者、失業する者などが数多く出ました。

しかし「河内者」のど根性で、撚糸業をはじめたり、歯ブラシを拵えたり、ボタンの穴あけの仕事を請け負ったり、と、手になじんだ糸偏(いとへん)がらみの仕事で新たな出発を始めるもの出てきました。

 田畑では、綿の代わりにブドウやミカン、花卉(かき)や野菜類が栽培されるようになり、大都市・大阪市の野菜供給地となっていったのです。

「河内木綿」が開いたものづくり

 旧暦七月盆の頃、綿畑は花盛りを迎え、取り入れが近づきます。

そして初秋、晴天の日に綿つみ仕事が始まります。

十分に開いて吹いた綿の実を選んで摘んで、前垂れの両裾を帯にはさんだ内へ取っては入れ取っては入れ、いっぱいになった篭を背負って帰り、ひろげて干します。

一番綿、二番綿、三番綿と、彼岸過ぎて秋深まる頃まで収穫はくりかえされました。

河内の村の原風景です。

「アダム・スミス」は言いました。

「富」とは何か。

金銀財宝を貯め込むことではありません、分業と協業とで結び合わされた健全な生産力の体系こそが「富」であり、「労働」こそが「富の父」、「自然」は「富の母」であると説いています。

「木綿の実の油」絞りの水車稼ぎが、現代の「伸線産業」につながるように、「河内木綿」を支えてきた「労働」の歴史は、東大阪の「富」を考えるうえで、重要な意味を持つでありましょう。

まさに「ものづくりの町」のルーツがここにあります。
おはなし  ひょこタンのパパ

(その12おしまい)

その13をお楽しみに!

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