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親子で楽しむ 『東大阪むかしむかし』

その52  神さまになったお奉行さま2020/08/14

死んだら神様になったえらーいお方が日下におったんじゃ

神さまになったお奉行さま

死んだら神さま

死んだあと仏さまじゃなくて神さまになる?

以外といるんですね~そんな人が・・・・

徳川家康が日光東照宮、

豊臣秀吉が豊国神社、

楠木正成は湊川神社、

もちろん天神さまは菅原道真公で、

はてはお岩さんまで?於岩稲荷、ハハハ・・・

生前の功績をたたえられたり、または恨みを呑んで死んだので祟り封じに祀られた人まで。

さて、この東大阪にも、神さまになられた人がおられるのです。

隠密奉行

寛永11年(1634)11月20日、江戸城西の丸は緊迫した空気に包まれていました。

先の長崎奉行・竹中采女正(うねめのしょう)重義に尋問が行われたのであります。

容疑は長崎奉行在任中の職権乱用および密貿易、告発された内容に幕府は震撼しました。

竹中と言えば、切支丹弾圧に功績のあった能吏であり、踏絵や蓑踊り、牛裂きなどの残酷な拷問刑罰を考えだしたことで恐れられた男です。

時の将軍・徳川家光は隠密に腹心の旗本を長崎に使わし竹中の行状を探らせました。

その旗本、曽我又左衛門古祐(ひさすけ)を、竹中を詰問するために召し出し、竹中と対決させたのであります。

そして曽我の詳細な調査に、竹中は申し開き叶わず、ついに切腹が命じられたのでありました。

その功績にて、曽我は丹波守に任ぜられ、大坂町奉行に栄転したのでありました。

大坂町奉行

大坂町奉行は、江戸町奉行と違い、大坂市中だけでなく幕府領の摂津・河内の両国を差配する重要な役職でありました。

丹波守は、さっそく吉田川と恩智川にはさまれた水陸両方の交通の要衝であった「松原」に、近隣の村々に人馬の供出を命じて公式に宿場を置き、「松原宿」を開設させました。

そしてキリシタンの摘発に当たり大きな功績を残しました。

ある時、 大坂町奉行あてに、江戸から書状が来て、

「町役人は耶蘇宗門を厳しく調査せよ」と書いてありました。

丹波守は、

「文書は書く者によってはこうもなるものか、我々への知らせは御上の意向を伝えるものである。 
それさえこのようなありさまである。

なるほど都の近辺では、知っている人も多いだろう、が、片田舎ではいかがであろうか。

耶蘇宗門と書いてよこすと、これはどのような宗教なのか、きりしたんの外にまたちがう宗教が渡ってきたのか、と不審に思うであろう。

だいたい、ものを書くときは、田舎の隅々の下々のものも理解できるよう書くべきだ。

しゃれた語句を書き入れるのが、文書のきまりだと思っているのは間違いである。

このようなときは、仮名できりしたんと書くのがよい。」

と言ったそうです。

かようなエピソードにみられるよう、下情に通じた名奉行であったようです。

日下村

さて、曽我丹波、町奉行の役料として河内国河内郡に三千石を領地として知行することになりました。

生駒のふもと、「日下村」もその中に含まれていました。

慶安2年(1649)、丹波守は「日下村」の検地をおこない、その検地において、こそっと幕府に黙って村人たちに有利なように取り計らいました。

そして旱害に苦しむ村のために用水池の築造や用水樋の付替え、堤の修理、土砂止めの植林などの土木工事を領主自身の負担で行いました。

後世、日下をおとずれた上田秋成は、

「この岡のべに御所の池とて心ひろく掘りたるがあるを、夏は必ず田にそそぐが (中略) 此の池はいにしえ慶安の比、曽我丹波守どのと申しが掘らせ、千町の田はた是に養われて、百五十余年こなたの国宝となん成りぬることのかたじけなさよ」

と、日下の農民たちにこよない善政ひいた領主として語り伝えられていると記しています。

丹波神社

寛永11年(1634)から万治元年(1658)までの25年間、大坂町奉行を勤め上げ、退任したあとは、隠居して日下村の「河澄家」に移り住み、73歳で没しました。

町奉行役料としての一時的な領地であったにもかかわらず、晩年には日下村で暮らすほど村人たちと強い絆で結ばれていたものでした。

その徳を慕う村人たちにより25回忌の時「御所の池」のほとりに墓がたてられ、その墓の上に社殿が立てられ、神社になりました。

いまも残る「丹波神社」です。

日下の人々から「丹波さん」と親しまれ、丹波守は日下の人々から神さまとして崇められるようになったのです。

現在、日下の「河澄家」には丹波守の設計による「棲鶴楼(せいかくろう)」と呼ばれる奥座敷が残され、また「加納東公園」の中に丹波守が自身の負担で架けた石橋「とくさ橋」が移されて残っています。

そして「丹波神社」は、日下の人たちに大切にされ続け、曽我丹波を偲んで毎年中秋の名月の日に神社では「名月祭」が行われています。
おはなし  ひょこタンのパパ
(その52おしまい)


その53をお楽しみに!

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