親子で楽しむ 『東大阪むかしむかし』
その41 風雪HANAZONOの一世紀2018/12/25
むかーしむかし、ここにラグビー場を作ろうとおっしゃった方がいたんじゃ
ラグビーことはじめ
1823年秋のこと、英国はパブリックスクールのそのひとつ、ラグビー校に通う、ウィリアム・ウェブ・エリスという少年がおりました。
当時弱冠16歳、彼はラグビー校でのフットボールの試合中、なんと!
地面にあるボールを手で拾い上げ、持ったままゴールへ向かって走っていったのです。
まわりの観客は総立ちです、フットボールのルールでは手で持って走ってよいなどとはありません。
しばしの沈黙のあと、観客席は沸き返りました!
これはおもしろいじゃないか!!!
これ以降、ラグビー校では、ボールを手で持って走ってもいいというルールに改正されることとなりました。
この有名なエリス少年のエピソード、じつのところ本当かどうかかなり怪しいそうなのですが、だれが最初かどうかは別にして、このラグビー校式フットボールは、こののち現在に至るまで世界中の大勢の人を魅了し虜としてゆくのです。
東洋一のラグビー場
ところで話変わって、1926年、日本は中河内郡英田(あかだ)村。
大阪電気軌道(現・近畿日本鉄道)は、軍馬の需要をあてこみ沿線の活性化のため、この英田村に競馬場の建設をもくろみました。
ところが、小作人と競馬場工事業者との間でトラブルがおき、「花園競馬場」の計画は頓挫、あとには荒れ地だけが残されたのでした。
その荒れ地に「ラグビー場を作ればどうか」と言った人があらわれました。
昭和天皇の弟君・秩父宮雍仁(やすひと)親王です。
スポーツの宮様と称された秩父宮殿下も、かのラグビー校式フットボールの魅力に虜となったひとりでした。
殿下は、神武天皇陵参拝の折りに、お供した大軌電車の重役に、
「ラグビーといふ競技は好い競技だが、それについて何か計画はあるか」とおおせられ、
車窓から英田村の荒れ地をご覧になられて、
「沿線にはずいぶん空き地が多いじゃないか、この辺にラグビー専用競技場を作ったらどうか」
とご提案になられました。
後日、大軌に訪れた時も「まだグランドはできないのか」とハッパをかけられるのです。
こうなると大軌の重役たちも、動き出さざるをえません。
すぐさま着工にかかり1929年11月、高麗芝で覆われた大鉄傘付きのメインスタジアムを持つ12,000人収容の日本初、東洋随一のラグビー専用競技場が完成しました。
殿下は勢津子妃とともに開場式にも臨席され、開場記念試合として「全日本選抜OB対全日本選抜学生」の試合が組まれ、HANAZONOは歴史の一歩を踏み出しました。
このときラグビー場前の臨時駅として開設されたのが、現在の「東花園駅」のはじまりです。
ラグビー場の風雪
やがて太平洋戦争がはじまりました。
さすがにラグビーどころではなくなり、自慢の大鉄傘は軍事物資として供出され、花園練成場としてパイロットの初等訓練施設に転用され、ついにメインスタンドは食糧増産のため畠にされてしまいました。
そのかいもなく1945年10月敗戦。
進駐してきたアメリカ軍98師団に接収され、米軍兵士たちは喜んでアメリカンフットボールを始め、日本人は締め出されてしまいました。
1949年、やっと接収が解除され、近鉄ラグビー部の部員たちも自由に使えるようになったときのことです。
ある選手が「ちょっと便所に行ってくるわ」とトイレに行くと、血相をかえて「えらいこっちゃ」と戻ってきました。
見るとトイレはすべて洋式トイレにされていたのです。
見たことのない洋式トイレの使い方がわからぬ選手たちは、困って便座の上にうんこ座りで用を足したそうです。
それやこれらの紆余曲折を得て、以降、日本のラグビーの中心地として、1963年から甲子園に相当する全国高校ラグビー選手権の会場となり、また近鉄ラグビー部の後身・近鉄ライナーズのメインスタジアムとして輝かしい歴史を刻んでゆくのですが・・・
まぼろしの花園球場
1973年ごろ、近鉄花園ラグビー場のとなりは大阪外国語大学の運動場でした。
その広さ約3.3haの大運動場が移転することになり、東大阪市に払い下げられました。
東大阪市は近鉄に、運動場にバファローズの本拠地移転を持ちかけたのです。
そのころ「近鉄バファローズ」は、ほとんどの公式戦を日生球場でおこなっており、ホームグラウンドの藤井寺球場では年間数試合しか行なっていませんでした。
というのも藤井寺球場にナイター設備を設けようとしたところ、周辺住民の反対があり工事禁止の仮処分を受けてしまったためです。
渡りに船と、近鉄幹部が相次いで東大阪市長を訪ね、「花園球場」実現の可能性は高まりました。
その計画や、収容能力4万人から5万人以上、人工芝、ナイター設備など完備した近代的な球場であり、ラグビーやプロ野球だけでなく、サッカーやアメリカンフットボールもできる多目的スタジアムでもあり、府立体育館を移転させ、テニスコートや温水プールを設け、一帯を総合スポーツゾーンにするという構想に広がってゆきました。
ところが1983年に大阪地方裁判所が、仮処分を取り消す判決を言い渡すと、一転して藤井寺球場がホームグランドとして復帰、待ちかねたナイターが行われ、花園球場・多目的スタジアム構想は立ち消えとなりました。
花園スタジアム構想は「花園中央公園」へと引き継がれ、花園球場は現在の「花園セントラルスタジアム球場」となりました。
HANAZONOは世界へ
もし・・・・・花園球場が出来ていたら?
日生球場や藤井寺球場よりも、観客はずっと増えて、バファローズが存続していたかもしれません・・・・
東大阪市は「ラグビーの街」じゃなく、「トライくん」もいなかったかもしれません。
けど現実には近鉄は2015年に東大阪市に所有権を譲り、「東大阪市花園ラグビー場」となりました。
「ラグビーワールドカップ 2019」の試合日程も決まり、東大阪市花園ラグビー場での開幕戦は9月22日「イタリア対ナミビア」に決定しました。
今、いにしえの夢をはせながら、HANAZONOは世界中の人を虜にする「ラグビーの街」として2019年に向かっているのです。
おはなし ひょこタンのパパ
(その41おしまい)
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