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親子で楽しむ 『東大阪むかしむかし』

その36  聞こえてくるは、トンネル踊りか2018/06/25

むかーしむかしの生駒トンネルは、今はひっそりと閉鎖されておるんじゃ

聞こえてくるは、トンネル踊りか

最終電車

 深夜、乗客もまばらな最終電車が孔舎衛坂(くさえさか)駅を越え、トンネルに差し掛かるとき。

 急坂を上る電車のモーター音が突然響きわたると、がらんとしていた車内が・・・・・

 「満員電車」と変わるのです。

 車外からも見えたという人が何人も現れ、あまりのことに電鉄会社も対応を余儀なくされた。

 「最終電車のあとに、もう一本電車を走らせる」

 つまり回送電車である。
 
 ところが、無人のはずの電車に前にも増して人が、人が乗っているのが見えたのです。

 それ以降、ダイヤの上に架空の「最終電車」を設けました。

 電車の時刻表には、決して走ることのない発車時刻が記されていたのでした。

 有名な生駒トンネルのエピソードです。

 生駒トンネル、昭和39年(1964)に新生駒トンネルが開通するまで、日本で2番目の長さ(4,656m)を誇る、日本初の標準軌複線トンネルでありました。

電車が走る、河内野に

 明治のころまで、枚岡などの村々から大阪市内へ行くには、奈良街道を西へ歩いてゆくか、また八尾まで歩いて汽車に乗るかのいずれかでした。

 そんな河内の村の中を大正3(1914)年4月30日、電車が開通しました。

 その電車とは、現在の近畿日本鉄道、当時は大阪電気軌道株式会社、大軌電車と呼んでいました。

 その大軌電車、明治43年、日露戦争後の資本主義発展により社会が大きく変わろうとしていた時、大阪奈良間を最短の時間55分で、鉄道で結ぶという目的のため設立されました。

 そのためには生駒越えを如何にして行なうかという問題が控えていました。

 ルートは、3つ。

 現在の阪奈道路に沿ったコース、

 善根寺より生駒谷へ至るコース、

 日下より生駒山に長いトンネルを掘って生駒谷へ至るコース。

 取締役の岩下清周は、断固トンネル掘削による最短コースで大阪奈良を結ぶべしと唱え、最後のコースに決定されました。

 こうして当時の日本最大規模の土木工事(生駒トンネル掘削工事)が開始されたのです。

生駒の山を掘りぬけ!

 工事を請け負ったのは大林組、明治44年(1911)に着工され、トンネル建設は地質の変化や湧水等に悩まされ、予想外の難工事となりました。

 そしてついに、大正2(1913)年1月26日、かの生駒トンネル落盤事故が起こりました。

 150人以上が生き埋めになり19人の人が亡くなるという痛ましい事故です。

 その後も難工事は続き大軌の経営危機をまねく状態にまでなりましたが、なんとか大正3年4月18日に生駒トンネルは完成しました。
 
 ですが、まだまだ大軌は火の車で、開通後も天気に左右される乗客状況を皮肉られ「大阪天気軌道」と呼ばれたとか・・・

 あげくは次の日の切符が調達できない事態まで至り、とうとう最後かと思われたときに生駒聖天・宝山寺に寺の賽銭を提供してもらえ窮地を脱したそうです。

 これを境に大軌鉄道は軌道に乗りだし、基盤を不動のものとして、現在の近鉄電車と引き継がれてゆきました。

 そうして河内の村々にも、新たな大阪の息吹が電車に乗って聞こえて来たのです。

日下遊園地

 大軌の生駒トンネルが開通すると、近所の村人たちは、電車?トンネル?なんのこっちゃと、見たこともないので見物に押し寄せたそうです。

 こんなにトンネルが人気があるのなら、と、翌・大正四年。

 天女ヶ池とよばれた日下新池のほとりに地元の有志が出資して遊園地が開園したのです。

 「日下遊園地」と呼ばれたこの遊園地、洋館建ての「日下温泉」はじめ料理旅館が立ち並び、なんと!少女歌劇団!? の舞台まであったそうです。

 舞台では水芸、落語、奇術などの寄席が開かれ、遊客は温泉上がりにダンスに興じ、花火や活動写真もあって夜まで楽しめたそうです。

 池の周りには、熊・猿・雉などが小さな檻に入れられて子供向けのミニ動物園、乗馬クラブは手綱を持った農夫の引く馬に乗り5~6分ほど畑の中を回るだけ、段々畑の中に観覧車を作り豆電球をつけて光らせていた程度の物でした。

 それでも当時の新聞には 「春は天女ヶ池のほとりで花見、夏は池でのボート遊び、日下の滝・噴水にたもとを払わせ、大阪市街の夜は蛍火の如く、冷蔵庫以上の涼しさ」と取り上げられ、大評判で大阪市内からもお客が押し寄せたそうです。
 
 大軌では、これに乗じ納涼大会を企画し、生駒トンネルを何回でも往復できる乗車券を発売して、大軌マーク入りのそろいの浴衣をしつらえて、盆踊り大会を開催することにしました。

トンネル踊り

 盆踊り当日は、トンネルのすぐそばの孔舎衛坂駅から天女ヶ池まで釣られた紅提灯が来る客をみちびき、河内音頭や江州音頭で夜通し踊り明したのでした。

 このときの踊りは「トンネル踊り」と呼ばれ、足さばきも軽く、手の使い方も簡単、憶えやすいので、来る人々に親しまれ、何日も続いて、「トンネル踊り」はすっかり有名になり、見物客で電車は一杯になりました。

 河内音頭とは、むかしから河内一円で盆踊り唄として唄われていて、もともとは亡くなった人々の霊を供養する唄でありました。

 音頭にのった「トンネル踊り」は、トンネル工事の祝いというより多くの工事の犠牲者のための供養の音頭だったのかもしれません。
 
 このときの「歌亀」という音頭取りの音頭を聞いた、大阪の音頭取りたちが、歌亀の音頭に工夫を加えて拵えたのが現在唄われている河内音頭だそうです。

 しかし夢ははかないもの。

 大軌も当初こそ協力的でしたが、自前で「あやめ池遊園地」や「生駒山上遊園地」を開園すると、さしもの「日下遊園地」も昭和の初めにはその姿を消してしまい、ほとりにヒトモトススキが茫々と生えているだけの寂しい池に戻ってしまいました。

 そののち新たに現在の生駒トンネルが開通されると、旧のトンネルは閉鎖され最寄りの駅は廃止され急速に忘れ去られ、輝かしい歴史とはうらはらの妖しい伝説だけが語り伝えられていったのでした。
 
 
おはなし  ひょこタンのパパ
(その36おしまい)


その37をお楽しみに!

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