親子で楽しむ 『東大阪むかしむかし』
その25 市場の川面に花の香薫る2017/10/11
むかーしむかし、花園はホントに『花園』だったんじゃ
玉串川
河内のくには河のなか、江戸時代の半ばまで、大和川は柏原から北上し長瀬川・玉串川などに分かれ、長瀬川は、広いところで川幅700mもあり、玉串川も川幅200m近くもありました。
たくさんの川がながれるこの土地は、大雨がふるたび洪水となって田畑を流し、中世のころは河原の荒地と化していました。
無住の河原は、だれのものでもありません、さすると、この荒れた土地に、どこからともなく人が集まってくるのです。
年貢の厳しさに逃散した農民、旅を枕に芸や春をひさぐ傀儡子(くぐつ)たち、そして、商人や物資の輸送に携わる馬借(ばしゃく)たちなど。
大きな荷物は馬で運ぶより舟、道はあちこちで川に分断されているので、人や物の流れは陸路ではなく水路が便利です。積み荷をのせた舟は玉串川をさかのぼり、玉串の市場をめざしていくのでありました。
玉串川は、現在の花園駅付近で吉田川と菱江川に分れ、川筋の分岐点であるこの場所は、物資の集散地としてもってこいで、船着き場には大きな市場が立っていました。
花園は「市場」という地名で呼ばれていたのです。
花屋敷
市場には、板屋根葺きの小屋が向かい合って並んでいて、米売り・瓜売り・油売り、番匠・檜物師・草履作はては薬師・陰陽師・念仏坊主たちが店を出し、艶やかに着飾った遊女たちが客の袖を引く、今も変わらぬ商店街の風景がありました。
「市場」のこのあたりは、平安のむかし関白・藤原頼道の荘園「玉櫛荘」であり、荘園の代官として「楠木一族」が台頭してきて市場を仕切っていたのです。
楠木屋敷は市場の船着き場の東方で、「津原神社」の参道わきにあり、土倉も兼ねたひときわ大きな屋敷でありました。
のち「楠木正成」が後醍醐天皇の激に呼応して南朝に参じるとき、この屋敷を焼き払い、南朝が敗退したのちは、足利幕府の代官の屋敷が建てられました。
その屋敷は「花屋敷」と呼ばれ、その名の所以は、「津原神社」の周りで花の栽培が盛んだったことからだそうで、足利将軍の「花の御所」にあやかった艶やかな屋敷であったようです。
「花屋敷」の地中からは、室町時代の明の銅銭約1万5千枚が発掘され、やはりここが交易の中心であったことが確認されています。
そして、このあたりは地味も肥えた豊かな土地であったようで鎌倉時代の書物には、全国の米の中で、ここでとれた米が一番美味いと紹介されています。
市場を通じて、生駒山麓の寺社に供花を供給しやすいために、花の栽培が盛んだったようです。
津原神社
「津原神社」は「玉櫛明神」とも呼ばれていて、「玉串」の地名の由来であります。
奈良時代の天平勝宝6年、はげしい雨風が月を越えてもやまず、人々は困ってご神託をあおいだところ、玉櫛笥(たまくしげ=化粧品箱)と橘(たちばな)を川の上流より流し、それらが止まった所に神さまを祀れば、水難を止めることが出来るであろうとのご託宣が下りました。
そこで、大和・河内両国の境の川より、玉櫛笥と橘の二品を流したところ、北へ流れて玉櫛笥が止まった地に神さまを祀り、「玉櫛明神」と呼び、川の名前も「玉櫛(串)川」と名付けられたと伝わっています。
それゆえ、むかしは参道の「松の馬場」で、馬を使っての雨乞の神事が行われたそうです。
参道は八尾市の「玉祖神社の馬場」、松原市の「屯倉神社の馬場」と並んで「河内三大馬場」に数えられていたそうで、雨乞いには黒馬を、日乞いには白馬を使ったおもしろい神事だったそうです。
この参道、終戦のころまでは、6メートル余りの道幅の両翼2メートルの土地に松、杉、榎、みりんの木が植えられ、根元には熊笹が生え広がって、樹齢5、600年の杉の根株があちこちに残って、両側に家一軒とてなく、樹木が生い茂り馬場は昼なお暗いトンネル状態だったそうで、色あざやかな玉虫がたくさん生息していたそうです。
また参道は、戦前、村の行事場としてつかわれ、江州音頭に河内音頭、ムシロひいての活動写真、防火訓練などが行われたそうで、電柱などがいっさい無かったので、「長瀬の帝国キネマ」のロケ地に良く使われ、月に5、6回も映画の撮影があったそうです。
現在では、参道両脇には人家が立ち並び、秋祭りには太鼓台やだんじりが繰り出し、人で埋め尽くされ身動きできない状態になるそうです。
三野郷(みのごう)
「玉櫛荘」は時代が下ると、「三野郷(みのごう)村」と呼ばれて、市場村・福万寺村・上之島村・玉井新田から成っていました。
終戦後、福万寺・上之島などは八尾市へ編入され、市場村は東大阪市へ残りました、市場村が現在の花園と玉串の町です。
村の名残として三野郷のJAは、市境をまたいで管轄しているそうです。
「津原神社」の石鳥居を見てみると「市場村」と刻まれています、江戸時代には「市場村・花園辻」と呼ばれていたそうです。
花園
江戸時代に入ると、ふたたび「市場村」で花作りが盛んになりました。
大坂夏の陣の激戦地であった玉串での、死者の霊を弔うため無縁仏に花を捧げたのが始まりだそうです。
大正のころから夏菊、昭和に入ると切花が盛んになってきました。栽培の中心は菊で、現在は夏菊に替り、「電照菊」の栽培が多くなってきているそうです。その他、スプレー菊やピンポン菊など、フラワーアレンジにも使うことのできる華やかな菊も栽培されているようです。
そして市場の名残というわけでもないのですが、花園駅北側の「ラボモール花園商店街」は、旧吉田川の右岸の堤の上にあり、商店街を北に向いて歩くと、右側が急な下りになって、堤の上であったことが体感できます。
「市場」は市場から商店街へと、「花園」は大昔から、本当の「花園」だったんですね。
おはなし ひょこタンのパパ
(その25おしまい)
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