親子で楽しむ 『東大阪むかしむかし』
その7 かわちのきつねのものがたり2015/10/18
むかーしむかし、ここいらへんにはきつねがおって、いろんなわるさをしたんやでー
キツネかヒトか
むかしから、キツネとヒトは、住む場所を分かち合いながら、共に暮らして来ました。
キツネは、その賢さから、お稲荷さんの使いとして崇められたり、また化ける物として恐れられたりしてきたのです。
ヒトとキツネは、化かされたり、だまし合ったり、また助け合ったりして、わたしたちのこの土地を共につくりあげてきたのです。
キツネつり
加納の墓の北側は、深い竹藪におおわれた、昼なお暗い、気色のわるいところでした。
竹藪には、おおくのキツネが住んでいて、村人たちはお彼岸などにはお供え物などして、いっしょに暮していたのです。
しかし「こわい恐ろし 加納の墓よ 夜の夜中に 女の声がする・・・」と子供たちの手まり歌に歌われたように、嫁入りの御馳走を取られたり、野ツボに入れられたり、冬の川に鯉がいると見せられ冷たい川で泳がされたりと、だんだんキツネのいたずらがエスカレートしてきたのです。
「キツネを退治しよっ!!」
たまりかねた村人たちは寄り合い、生け捕りにして日下の山へ連れて行き追い払うことに決めました。
しかし傷つけないように生け捕りにするには・・・・
「大好物のネズミの天ぷらでおびきよせ、釣り上げるんや。」
月も出ぬ真っ黒なある夜、村人たちは、墓の前の川に舟を浮かべ、七輪で火をおこして、ネズミの天ぷらを揚げました。
香ばしい匂いがあたり一面に広がります。
コンコンと聞こえたかと一同はっと緊張する一幕もありましたが・・・
まてども、まてども、キツネは一向に現れる様子がありません。
「ふぅあ・・・」
だれかが大きなため息をすると、みんなの緊張が一挙にゆるみました。
その時、川向うの村の衆が、かやがや言いながらやって来ました。
「ご苦労さんでんなぁ」
「ようけ、捕まりましたかいな?」
と口々に声をかけてきました、舟の上の者たちは受け応えしながらも、誰一人として、月のない闇夜に明りもなしで姿が浮かんで見えている異様さに気が付かなかったのです。
「もうええ加減な時刻やなぁ、いっこうに現れへんよって、えらい骨折りや、しゃぁない、そろそろ去のか・・・」
とぼちぼち帰り支度をはじめましたときです、一人の若い衆が、
「天ぷらがあれへん! いっこも無うなった!!」
十四、五匹はあったであろうネズミの天ぷらがすべて無くなっていたのです、そしていつのまにか川向うの村の衆の姿も消えていました。
それ以来、加納の村では、キツネを捕まえようとは、誰一人として言わなくなったそうです。
銭がこわい
日下川の土手を、提灯とみやげの折り提げ、家路を急ぐ若い者。
橋のたもとに佇む人影、よく見れば、鄙(ひな)にもまれなエエ娘。
「どこまでいかはりまんねん。よろしかったら、送りまひょか?」
「へぇ、おおきに。 芝までかえろと思うてましてん、助かりま・・・」
「なんの、なんの、おなごの身では夜道はコワおましゃろ。」
「まぁ・・・せやけど、わて、夜道はそんなにコワイことあらしまへんねん。」
「へぇ、えらい強いことだんなぁ、ほならコワイものはなんでんねん?」
すると娘は体を震わせ、「世の中で一番怖いものは、犬だす。 犬ほどコワイものはおまへん。」
「へえぇ、犬だっか・・・わては、せやなぁ、世の中で一番コワイものは銭でんなぁ、そらなんというても銭ほどコワイものはおまへん、どんな仲ええ親子兄弟でも銭のこととなったら別だ・・・銭は人を変えてしまいよりまんねん。」いとも恐ろしげに話すのでした。
まもなく、芝の村が見えてきて、入口の石橋で、どの家でっか?と振り返ると、いつの間に消えたか娘の姿が見えません。
しかもみやげの折りまでが消えておりました。
若い者は地団太ふみ「くそっ、あのおなご、キツネやったんかい!」
あまりの腹立たしさに夜も寝つけず、「そやっ、犬が一番コワイいうとったな」。
明くる夜、若い者は村で一番でかい犬を芝の石橋まで連れて行き、おもっきり吠えさせ橋の上を行ったり来たりさせました。
すると橋の下からキツネが飛び出し血相変えて逃げて行きました。
「どギツネめ、ビックリしよったやろ、ざまあみさらせ。」
それから三日のちの満月の夜のこと、若い者の家にバラバラと小石のようなものを投げつけるキツネの姿が見えました。
「この前の仕返しやな」若い者は家の中で息をひそめておりました。
朝になって、戸を開けた若い者は大きな声をあげました。
庭には数えきれないほどたくさんの小判が落ちていたのです。
キツネの田んぼ
縄手村にたいへん働きものの男がおりました。
その男、籠を担いで自分の田んぼへとやって来ました。
籠の中には稲の苗、そろそろ田植えの時期が始まります、田植えの準備に苗を運んできたのです。
田んぼのそばまで来て、籠をおろし一息入れようと腰を下ろそうとした、その時のことです。
田んぼの傍の野ツボの中から、なにやらバシャバシャという音が聞こえて来るではありませんか。
何やろと思い、野ツボのなかを覗いてみると、小さなキツネが苦しそうにもがいておりました。
「なんと、かわいそうに」
野ツボの中から引き揚げて、そばを流れる川の水できれいに体を洗ってやりました。
そうして子ギツネを畦道に放してやると、パッと走りだし、子ギツネは、一瞬後ろを振り返ると礼でも言うように男を見た後、一目散に山へと帰ってゆきました。
そのあくる日、村の衆が田を植えに田んぼへやって来ると、なぜか男の田んぼだけが、きれいに田植えされ朝日を受けてきらきら輝いていたのです。
村の衆は口々にキツネの恩返しやと言い、男の田んぼは他所のどの田んぼよりたくさんの米が採れるようになったのだそうです。
失われた世界
現在、田んぼや畑・竹藪は次々開発され、キツネと分かちあっていた世界は姿を消してしまいました。
でも、わたしたちの流れる血の中には、ともに暮らしてきた記憶がたしかに残っているのです。
その血の中から、また新たに「瓢箪山のひょこタン」たちが生まれ、後の世へと語り伝えられてゆくのですよ。
おはなし ひょこタンのパパ
(その7おしまい)
その8をお楽しみに!