親子で楽しむ 『東大阪むかしむかし』
その6 山のふもとに祭りの季節2015/09/24
むかーしむかし、枚岡のまつりは「だんじり」やったけど今は「ふとん太鼓」やでー
枚岡秋郷祭
遠い古代から河内国・一の宮として尊崇を集めてきた官幣大社・枚岡神社
その枚岡神社では、毎年10月14日・15日「枚岡秋郷祭」が開催されます、大阪府下でも特筆される河内一番の大祭です。
その規模たるや、近隣9町会(額田・豊浦・宝箱・喜里川・出雲井鳥居・五条・四条・客坊・河内)から大小合わせて23台の「ふとん太鼓」が奉納され、2日間で約15万人の人出と、多くの夜店で境内が埋め尽くされます。
だんじりVSふとん太鼓
東大阪の秋祭りは、西地区は「だんじり(地車)」の祭り、東地区は「ふとん太鼓」の祭りが多いようですね。
元々は山裾の枚岡でも祭りは「だんじり(地車)」が中心だったそうですが、明治42年に大阪電気軌道(のちの近鉄電車)が開通したことにより、「だんじり」では線路を渡ることができないため、高さ制限がなく行動しやすい「ふとん太鼓」に替っていったと聞きます。
明治35年当時、6台の「だんじり」に、2台の「ふとん太鼓」だったそうですが、現在は23台の「ふとん太鼓」に対して、「だんじり」はわずか3台となっています。
しかし、「秋郷祭」のとき神社正面・石段脇に据えられている巨大な豊浦の「だんじり」の雄姿は「秋郷祭」の名物の一つですね。
ふとん太鼓ことはじめ
さて、その「ふとん太鼓」、その始まりには、このような話が伝わっています。
むかーしむかし、 四条の若い衆が、自分の村にも「だんじり」が欲しいと思っていました。
しかし、村の主だった人に黙って買うこともできず、また「だんじり」は値が高く、坂の多い村の地形では引いて回るのが無理があるので、「それやったら「太鼓台」はどや」、 と言うことになったらしい。
若い衆ら四、五人のものらは、わずかの手付金をもって、ひそかに「太鼓台」を買い求め、納屋に隠しておきました。
けど、こうしたことは、すぐに村中に知れ渡ります、「そこまで若いもんがするんやったら、買うたれ」と有力な村の人たちが後金を払ってくれました。
はじめは今見るような立派な「太鼓台」ではなく、ごくごく簡素なものでありましたが、枚岡神社に奉納することになって、ふとんやしめ縄をととのえたり、台棒を締める紐の色も 紺にするか白にするか で意見が分かれ、なかなか決まらなかったので村役が中にはいり 「アイ(間)をとって藍色にせい」 とはからって、由来 「四条の若中にはアイ(愛)がある」 と他村の人よりよくもてたものだということです。
枚岡祭りへようこそ!
10月14・15日両日ともお昼をすぎるくらいに(喜里川・五条・客坊・河内・四條)の各太鼓台は、瓢箪山駅前に集結し、隊列を組んで商店街を通り抜けて行きます。
かたや箱殿の交差点にては(額田・宝箱・豊浦)の太鼓台が担ぎ合いをします。
担ぎ合いが終わると各太鼓台、(出雲井・鳥居)が待っている枚岡神社・一の鳥居の前まで移動し、枚岡神社まで登ってゆき、宮入が始まります。
そして午後7時からが、この祭りのハイライト「中担き」です。
社殿まで200mにおよぶ上り坂の参道を、2tはあろうかという「太鼓台」が、黒山の見物客を砕氷船のようにかき分け何度か往復します。
「ちょーさじゃ」の掛け声とともに互いにすれ違い、「さーせ!」の掛け声で「太鼓台」を高く持ち上げます。
これぞ枚岡の祭り、という醍醐味です、一度は見てくださいね。
祭りの終わり
「太鼓台」は、組み立てからはじまって、担ぎ、解体するまでたいへんな作業です、しかし、年上の者が下の世代に教え伝えることで地域の絆がつくられていきます。
枚岡の絆の深さは、まさにこの「秋郷祭」があるがゆえになのでしょう。
それほど、地元では誇りとされている祭りなのです
おはなし ひょこタンのパパ
(その6おしまい)
その7をお楽しみに!