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親子で楽しむ 『東大阪むかしむかし』

その48  栄光と黄昏の片町線2019/11/09

片町線の切符は葉っぱやったってほんと?

栄光と黄昏の片町線

牛がひっぱる片町線

牛がひっぱる片町線。
切符が葉っぱの片町線。
深夜ラジオでこういじられていたのはいつのころでしょうか・・・JR片町線。
明治28(1895)年開業の、近鉄や京阪よりはるかに古い歴史をもつ鉄道路線です。
そのはじまりは、浪速鉄道という小さな鉄道会社からはじまります。

四条畷まいりは浪速鉄道

浪速鉄道が大阪北区相生町~讃良郡北条間の鉄道敷設を計画したのは明治 26 (1893)  年のこと、その目的は、寝屋川舟運の代替輸送と創建されたばかりの四條畷神社への参詣のためでありました。
さっそく工事がはじまり明治28(1895)年の3月には片町、放出、徳庵、住道、四条畷の5駅が設置され、遅れていた寝屋川の橋梁工事も7月には完了、8月22日に営業運転がはじまりました。
片町~四条畷間は29分、1日10往復の列車が運行されました。
開業当日は、初めて見る汽車におおぜいの人が集まり、「煙突から出る火の粉で家が燃えてまうがなァ」とかわいわい賑やかだったそうで。
ところがその浪速鉄道、一年もたたないうちにライバルの関西(かんせい)鉄道に吸収されてしまいました。
これにより関西鉄道は、かねてからの悲願であった大阪~名古屋間の直通路線計画を一気にすすめたのです。

名古屋へむかう関西鉄道

 一  汽車をたよりに思ひ立つ 伊勢や大和の国めぐり
    網島いでて関西の 線路を旅の始にて

 二  造幣局の朝ざくら 桜の宮の夕すずみ
    なごりを跡に見かへれば 城の天守も霞みゆく

 三  咲くや菜種の放出も 過ぎて徳庵、住道
    窓より近き生駒山 手に取る如く聳えたり

鉄道唱歌
關西・參宮・南海篇 より
作者:大和田建樹 多梅稚 目賀田万世吉

「鉄道唱歌・関西参宮南海編」に謳われた、関西鉄道の沿線の情景です。
明治31(1898)年11月、大阪網島から出発した汽車は、徳庵、住道、四条畷を経由し田辺、新木津、加茂、上野と名古屋まで5時間17分で結びました。
のちにローカル線と化すこの路線の唯一の栄光の日々でありました。
が、このときもやはり、名阪間を5時間20分で結ぶ官営鉄道(のちのJR)東海道線と顧客争奪戦がはじまり、運賃割引や列車の高速化や弁当や景品などの集客合戦に敗れた関西鉄道は、明治40(1907)年その幕をおろし国有化されたのです。
帝国鉄道庁は、明治45(1912) 年に放出~桜ノ宮間を廃止し、片町~木津間の他線と接続されない閉塞された路線としました、「片町線」の誕生です。

悲願かなった鴻池新田駅

さて、いままでの話で気が付かれましたか?徳庵や住道駅の名前があるのに鴻池新田駅がなかったことを・・・
「ほんまは徳庵から新庄まわって住道行くはずやったけど、みなが反対したから今の線になってもた」と鴻池あたりでは語り伝えられているそうで、当初の浪速鉄道の計画では新庄迂回ルートが検討されていたそうです。
このとき、明治18 (1885) 年の淀川大洪水の被害にあった周辺の村々は、線路の橋脚や築堤のため排水が悪くなると反対し、現在の路線となったようで、鴻池新田の経営者・鴻池家では新田に駅を設置することを希望していたにもかかわらず汽車は素通りするだけになってしまいました。
鴻池家のたびかさなる要望がかない、ようやっと鴻池新田駅が出来たのは、明治 45(1912) 年。
鴻池側で、駅の敷地を提供し、駅の工事費も負担するということでようやく成ったものでした。
線路南側に 4.5× 65m のプラットホームを設置しただけの簡単な駅でありましたが、同年6月には鴻池新田会所で盛大な祝賀会が開催されました。
ビールやサイダー、日本酒が思う存分ふるまわれ、関東煮やぜんざい、かき氷、お菓子なども食べ放題、相撲や浄瑠璃なども催された後々まで語り継がれるほどのものだったそうです。
ここで記憶にとどめておきたいのは、このときから2年ほど鴻池新田駅や京橋・新喜多・鴫野駅で蒸気動車が客をのせて走っていたことです。
蒸気動車とは、客車に蒸気ボイラーを搭載した列車のことで、車体の両側に運転台があり折り返し運転するときも車体を回す必要がなく、旅客の少ないローカル線を運行するのにもってこいの汽車でした。
日本の鉄道史の1ページを飾るこの列車がわずかな期間であれ片町線を走っていたのです。

未来へはばたく片町線

この片町線、他線と隔離されたローカル線ゆえに、さまざまな実験的な取り組みがなされました。
関西の国有鉄道では、一番早く昭和7(1932)年に電化されて電車が走り、戦時中は、大阪砲兵工廠のそばに片町駅、楯津飛行場のそばに鴻池新田駅、住道などには松下の軍用飛行機の工場があったため、軍需輸送のダイヤ編成を組まれ軍用列車のおもむきもありました。
終戦後も、関西で初めて自動改札機の導入などされてきて、片町駅の廃止後は愛称「学研都市線」の名前の元に、着々と未来へのチャレンジをつづけています。
 
おはなし  ひょこタンのパパ
(その48おしまい)


その49をお楽しみに!

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