親子で楽しむ 『東大阪むかしむかし』
むかーしむかし、くらがり峠にはコワーイ話がいろいろあったんじゃ
浮かぶ首
「奈良までお客さんを乗せた帰り道のことですわ、その日は早よ大阪に帰ってもうひと仕事したかったんで、暗がり峠を通ることにしたんですわ。
車が1台通れるかという狭さに加え、急カーブの繰り返しでっしゃろ、スピードも出せずイライラするのを我慢しながらハンドルを握っていたんですヮ、で、そろそろ峠を越えようかと言う時だ、前の方になんや奇妙なものが見えたんですわ。
ヘッドライトに照らされて、なんやらユラユラと揺れるもの、火の玉かと思うたんやけど、良うみると・・・ナント!男の顔ですわ! 首から上だけが宙に浮かんで左右にゆらゆら揺れとりまんねん!!」
三つの火の玉
江戸もなかばのころ、越中富山の薬売り・源八は、大和へ向かうため暗がり峠を越えようとしていた。
まさしく名前の通り日中でも暗い場所、ましてや早々と日が暮れた夕暮れは物の形すら判別できなくなるほどであった。
源八は心細く思いながらも足早に峠を歩いていると、ふと道の先に火の玉が現れた。
鞠ほどの大きさで、ふわふわと宙を浮かんで、源八のそばまで来ると二つに割れた。
割れたあとに、女の悲鳴が響きわたり、忽然と女が現れた。
源八、何も出来ずただ身を小さくしてじっとしているばかりであった。
するとこんどは、別の火の玉が二つ現れて、それぞれ割れ、二人の男が現れた。
男たちは女の手を片方ずつ取って、自分の方に引っ張ると、女は苦しみ叫んで倒れてしまった。
残された男たちは、刀を抜いて斬り合い、互いに刺し違えて、女の上に倒れこんだ。
源八は生きた心地がせず、三人が動かなくなったのを見て、走り出し夢中で逃げて、やっと家を見つけると、戸を叩いて助けを求めた。
住人が出てくると、源八は、くらがり峠で見た一部始終を語った。
それを聞いた家の主は、語りだした。
ある美しい娘を巡って、二人の男が争い、娘は身を投げ、男二人は刺し違えて死んだ、以来、三人の魂は火の玉となって、暗がり峠に迷い出るようになったということだ。
死人の腕
生駒の山奥にひとつの寺があって、道珍という者が住んでいた。
あるとき村へ行き、雨が降ってきたので、仕方なく日暮れまで話をして帰路につくと、道の途中に来るときには何もなかったのに、死人が横たわっていた。
「貧乏で寺へ送ることもできんと、こんなところに放ったらしいな。しゃあない、わしが埋葬してやるわい。」
死体を負って帰ってから、死体を松の木に縛りつけると、さっさと寝た。
その真夜中のこと、「道珍、道珍」と呼ぶ声がして目がさめた。
「おい、道珍。なんでわいを縛るんや。早よ縄を解け」どうやら死人の声らしい。
「縄を解きに来んのなら、こっちから行くぞ」、とふつふつと縄を切る音がして、さすがの道珍も背筋に寒気が走った。
戸をこじ開けて入ってくる気配に、脇差を抜いて待ち伏せ、横合いからはっしと斬りつけると、死人は片腕を落とされて消えてしまった。
斬った腕を取り上げて見れば、針のような剛毛が生えてなかなかに恐ろしい、凄いもんやと思うて、長持にしまい込んだ。
夜が明けると、里に住む道珍の母が寺に来た。
まだ寝ている道珍をたたき起こすと、母は「昨夜の夢見が悪く、心配になっての。何事もなかったか」と問うので、昨夜の怪事のあらましを話しました。
「せやったか、驚いた。……その恐ろしい腕とやらを見しとくれ。」
取り出して見せると、母は片手を懐手にしたまま、もう一方の手をのばして死人の腕を引ったくり、
「これが、わいの手や!」
と叫び、晴れ渡っていた空が突然暗闇となると、虚空に死人が鬨の声を作ってどっと笑ったそうである。
暗がり峠の怪異
暗がり峠につたわる怪談です。
大坂~奈良を最短でむすぶ奈良街道の中間にありながら、樹林の鬱蒼と茂った昼なお暗い山越えの道であり、つづら折りの急勾配が続く、一人ではあまり歩きたくないような、怖い道だったので昔から現代までいろんな話が伝わっています。
〇弓削道鏡が和気清麻呂を峠で暗殺させようとしたところ、にわかに激しい雷雨が起こり、天地が真っ暗になって清麻呂は難を免れた。
〇神功皇后が三韓征伐に出発するとき、鶏の鳴き声を合図として生駒を出発したところ、あまりにも鶏が早く鳴いたために暗がり峠へ到着しても夜が明けず暗かったので、皇后は怒って鶏を川へ流し、龍田まで流された鶏は可哀想に思われた神さまに拾われ、以来、生駒では鶏は飼わないけど食べ、龍田では大切に飼い決して食べないという。
〇暗がり峠のそばの山寺に虎の絵を描くのが大好きな小坊主がいた、しかし和尚はこれを禁じて、代わりに仏さまを描くことを命じた。
虎が描けなくなった小坊主は次第に元気を失い、痩せて寝込んでしまい、命も尽きようかというとき、小坊主は巨大な虎に変じて和尚を喰い殺したという。
酷道のフォークロア
この暗がり峠、古代から重要な道であり、防人や唐・新羅の人たちもこの峠道を通って行き来し、江戸時代に入ると旅客や物資が増大して、旅籠や茶屋が立ち並び賑わいました。
大和郡山藩の参勤交代路であったので殿様が乗った駕籠が滑らないようにするために峠道に石畳が敷かれ、郡山藩柳沢家の本陣も設けられました。
しかし明治22年に関西本線が開通すると、さしものその賑わいも一変、衰退していったようです。
菊の香に くらがり越ゆる 節句かな
松尾芭蕉は、峠を越えるときこの句を詠み、東大阪の児童たちはふうふう言いながら遠足でこの峠を越えます、現在、当時の賑わいは歴史の彼方へと消えましたが、今なおこの道は現役の国道であり、こんなところを車で通行させることが、伝説より何よりもくらがり峠の怪異かもしれませんね。
おはなし ひょこタンのパパ
(その37おしまい)
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