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親子で楽しむ 『東大阪むかしむかし』

その30  東西ゑびす、夢の対決2018/01/09

むかーしむかし、東に西に、商売繁盛を願う長ーい行列ができたんじゃ

東西ゑびす、夢の対決

額田の戎松

むかし額田村に、樹齢数千年の大きな松の木がありました。

その松の木のふもとに、一軒の古びた百姓家があり、老人が一人さびしく住んでいました。

妻もなし子もなし、若いころからの極道三昧で親の残した田畑もみな売ってしまい、村でも偏屈じじいとして付き合う者もありません。

その変わり者の老人が、どうゆうわけかゑべっさんだけは、信心していて何があっても毎月欠かさず西宮戎までお詣りしていました。

若いころの不摂生のせいで年を取るにつれて弱ってゆき、とうとう倒れてしまい月参りすることが出来なくなってしまいました。

たとえ寝たきりであろうとも、どうにかしてゑべっさんにお詣りしたいものだと思い詰め、家の寝間から見える大きな松の木の根元に戎明神の祠を建てました。

数年後、老人は息を引き取ったのですが、最後の日に枕元に大きな葦舟が現れ、大きな鯛を抱いたゑべっさんが降り立ち、じいに・・・

「ようがんばったな。ワレは若いころはどないしょもないヤツやったけど、こないして悔い改めて信心を続けたことはまことに立派なことや、せやからわしが直々に迎えに来たよってこの葦舟にのって一緒に常世国(とこよのくに)へ行こ」といって、老人のたましいをのせて船出しました。

この老人の祠は、のちに額田の戎神社になり、そばの松の木は、終戦前まで戎松と呼ばれ境内に残っていたそうです。

ゑべっさんの正体

ゑべっさんも幼いころ葦舟にのって人知れぬ苦労をしてきました。

ゑべっさんの名は、蛭子(ひるこ)と言い、伊邪那美命(イザナギノミコト)と伊耶那岐命(イザナミノミコト)の最初の子どもとして生まれました。

ところが、3年たっても立って歩けなかったため、両親は蛭子を不吉な子と見て、葦舟に乗せて、海に流して捨ててしまったのです。

蛭子が流れ着いたのは、摂津の国は西宮の海岸、土地の漁師たちは身寄りのない蛭子を拾い上げ、大事に養い育ててくれました。

日本では昔から、海の向こう(常世国)からやってくる神さまを、「ゑびす」と呼んで迎え入れていました。

「ゑびす」とは、「えみし」などともと呼んで、戎や夷の字を当て、異邦の者を意味しています、異国からやってくる水の神さまであります。

近年までイルカやクジラなどを「えびす」とよんだり、土左衛門のことを「えびす」とよんだりする漁村もあり、漁のときに「えびす」を拾うと大漁になるという言い伝えすらあります。

海の彼方から来る霊が、大漁をもたらすと考えられていたからでしょう。

また、ゑべっさんには、もう一つの顔もあります。

実は事代主神(コトシロヌシノカミ)であるとも言われているのです。

事代主は、素戔嗚(スサノオ)の六代目の孫・大国主命(オオクニヌシノミコト)の息子であり、釣り道楽の海の神さまです。

天照大御神(アマテラスオオミカミ)が、大国主の治めていた出雲国を譲るよう迫った時、事代主は美保ヶ崎で釣りをしながら承諾しました。

この神話から、事代主は神託を司る神さまとされ、このときの姿から竿と鯛を持つ姿に描かれるようになったと言われています。

水の神から福の神

ゑべっさんの正体が、蛭子や事代主に結び付けられたのは、両神とも水の神さまであり、豊漁をもたらす神さま、また航海安全の神さまとして海岸の近くに祀られてきたからです。

ゑべっさんが祀られている土地は、時と共に港が開かれ市が立って発展してゆき、ゑべっさんは商売繁盛の神さまとなっていったのです。

その代表的な土地が、摂津の西宮であり西宮神社は、蛭子系の戎神社の総本社であります。

西宮戎神社に隷属していた傀儡子(人形遣い)たちが、各地で戎明神の神徳を宣伝してまわり、その知名度を大きくあげて行きました。

また今宮戎神社は、事代主系の戎神社の中心的な神社として有名になってゆきました。

ゑべっさんの正体は、大きく二つの説があり、日本中の戎神社は、この二つのどちらか、また二つをいっしょに祀っています。

布施の戎像

さて、足代の布施戎神社には、大きなゑべっさんの像がありますね。

なんでも鋳造の像としては、日本一の大きさだそうで、近所(近鉄永和駅の西南約300mの住宅地)の都留彌神社にもゑべっさんの像が置かれています。

また布施戎神社の境内には、都留彌神社の御旅所もあります。

都留彌(つるみ)神社と布施戎って何か関係があるのでしょうか?

都留彌神社はもともとの足代の氏神さまであり、大正3年までは布施戎の場所に祀られていたんです。

足代(あじろ)の地名は、大和川の魚を網代(あじろ)で捕ったことにより生まれたといい、このあたりは付替以前の大和川の本流(長瀬川)が流れていた場所で、少し前までは未舗装の道路を掘るとしじみの殻が出てきたそうです。

神社の起源はふるく、およそ1100数十年前の昔の記録に記載されているほどで、旱魃に見舞われた醍醐天皇の時代、河内十二社に選定され、勅使を迎え雨乞いの神事をおこなったところ、大雨が来て豊作となったといいます。

醍醐天皇は、この神徳にいたく感じられ、都留彌神社の社号を賜わったということです。

都留彌は、かって都留美と記され、大和川につるむ一対の美しい島があり、これが神名となったそうで、河内国が河のなかであったころの水の神さまとして祀られてきたようです。

そして大正3年に、国の方針で布施村の八ヶ村(足代・岸田堂・菱屋西・大平寺・長堂・三ノ瀬・永和・荒川)の神社を合併合祀することとなり、現社地に遷座しました。

そして元の社地は、足代の人々へ払下げられ、共有地として保管されて来ました。

終戦後昭和29年、その跡地に西宮戎から蛭子神を分霊され布施戎神社を創建し、さらに昭和63年には今宮戎から事代主神も勧請されました。

西に東に、ゑべっさん

 額田戎神社は、天保15年の村の記録に残されていることから、戎神社としては布施より古い歴史があり、布施戎神社は、その前史である都留彌神社をふくめるとそれよりずっと古い由緒があります。

かっては川中島だった布施、山の裾の額田、今宮の布施と西宮の額田、事代主神VS蛭子神、まさに東西ゑびす夢の対決ですね。

東大阪の二社のゑべっさん、いずれも毎年の十日戎には商売繁盛を願う人々が群れをなし、身動きができないほどの賑わいとなりますよ。

おはなし  ひょこタンのパパ
(その30おしまい)


その31をお楽しみに!

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