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親子で楽しむ 『東大阪むかしむかし』

その8  東大阪、はじまりのはじまり2015/11/06

むかーしむかし、ふせのまちもぜーんぶたんぼやはたけやったんやでぇ~

東大阪、はじまりのはじまり

畠の中に町が出来た!

 まだ電車が走る前、東大阪のほとんどはのどか~な農村でした。

 そのころ日本は、ロシアとの戦争、第一次世界大戦、と激動の時代をむかえていたのです。

 大阪は、「東洋のマンチェスター」と呼ばれ、日本を支える工業都市として急激な発展を続けていました。

 増え続ける人口を受け入れるため、大阪の郊外の開発が急がれたのです。

 大正3年、河内の畠のど真ん中に電車が開通しました、大阪電気軌道(現・近畿日本鉄道)です。

 深江に駅がつくられるや、これは通勤に便利じゃと深江や小阪に住宅が建ち始めました。

 わずか数年のうちに、畠の中に学校、工場、郵便局、町役場がドンドン建設され、お寺までが大阪市から引っ越ししてきました。

 のどかな農村は、ハイカラな住宅と藁屋根の民家が入り混じった町となってきたのです。

お店が増えてきた!

 大正13年、深江駅は足代駅と名前を変えました。

 大正3年当時は、30軒ほどしかなかった商店も、このころには514軒を数えるまで増えてきました。

 しかし、まだまだ農家と兼業のお店が多かったようで、とても近代的な商店と言えるものではなかったようです。

 ところが、大正14年に、また足代駅が布施駅と名を改めるころになると、駅を利用する通勤客がどんどん増えてきて、乗降者数が1万人を越え、布施の町はどんどん大きくなってきたのです。

 増え続ける人々の胃袋を満たすため、昭和3年に小阪、続いて東足代や永和にも小売市場が開設されました。

 これらの市場では、重くてカサの高い商品を自宅まで届けてくれたり、電話注文にも応じるなどの今までにないサービスで話題を集めました。

 そして昭和をむかえて、布施の駅前には店が立ち並ぶようになり、商店街が出来てきました。

駅の前には、二つの商店街

 昭和6年5月には布施町商工組合が結成されました。

 組合の各お店では、簿記・広告術・珠算・商業道徳などの勉強にはげみ、今までの大福帳経営から近代商業経営に切り替わってきました。

 それらのお店が集まって、布施駅前に、「広小路」と「本町」という二つの大きな商店街を作りあげてきたのです。

 昭和11年の布施町誌には

 ○広小路商店街  
 全長南北・・・・ 約380m 幅員 7.3m
 小売店数・・・・ 衣料品37 文化品31 食料品23  127を超える
 一日平均通行人・・・・ 1万1700人 

 ○本町通り商店街
 全長南北・・・・約270m  幅員7.3m 
 食料品47 衣料品22 文化品10 総数97
 一日平均通行人 3万1300人

 と紹介され、

 両商店街とも、月1回夜店が開かれて数多くの露店商で賑わいました。

 昭和10年の商工祭においては、大売出し・生産品展覧会・店頭装飾陳列会・広告祭・誓文払いなどの行事で、朝から夜までお祭り騒ぎが続いたそうです。

赤い灯青い灯、布施の夜

 昭和6年、大阪朝日新聞に、「営業願いと建築届け・御厨署に押し寄せる」と見出しが踊りました。

 「布施町のカフェーの増え方ときたら物凄いばかり、1,2か月で営業主の変わるのも多い」
 
 と書かれ、実際、飲食店やカフェーは激増していました。

 広小路と本町の間(現在の布施駅南側、モモヤや元禄寿司の前の道)は、「浮世小路」と呼ばれ飲食店が軒を並べていました。

 昭和12年に商工会議所や三和銀行が開設されると一段と賑わい、駅の南口に客待ちの人力車がひしめき合うほどでした。

 あるカフェーでは女給が30人、あるキャバレーでは50人、またある料亭では仲居が30人と、各店大勢の女の子を抱え、毎晩6時ごろからたくさんのお客で賑わっていました。

 電車に乗って遠くよりお客が来、呑んで騒いで愉しんで面白い町だと、「布施のジャンジャン町」とも呼ばれたのです。


 飲み屋ばかりではありません、遊技場や劇場もどんどん増えてきました。

 かって村の若い衆たちが村の床屋でだべっていたのが、映画館、ビリヤード場、カフェー、ダンスホールなどに集まり遊ぶようになり、新しい流行が作られるようになりました。

 昭和11年、布施には劇場3軒、ビリヤード13軒、射的2軒、釣り堀8か所、碁・将棋会所16軒、そして飲食店275軒を数えたそうです。

 劇場は、足代座、第二足代座、昭栄座の3軒で、うち2軒は映画、1軒は寄席で興行していたそうです。

村から町から市から市へ

河内平野ののどかな農村が、大阪市の大膨張に飲み込まれ、あれよあれよと村から町へ、町から市へと変貌と遂げてきました。

 大正14年に、布施村は高井田村と合併し布施町となり、昭和12年に小阪町・楠根町・長瀬村・意岐部村・弥刀村と合併、布施市となりました。

 当時の新聞には、「ここの駅から朝夕乗降する客は勤め人、職業婦人がことのほか目立ち、町全体の色調がすっかり小都会らしくなってきた、が、皮肉なことに犯罪の数も多く、飲料水の悪いのと狭い迷路が多いのが目立つのである」と記されています。

 そしてその間、農家の戸数は半減し、急速に都市化していったのです。

 農村の鎮守の神さま、都留彌神社は荒川村にうつり、替わってその跡地には戎神社が勧請され、商売人の神さまとして「布施のゑべっさん」とよばれ親しまれています。

 そしてその布施市は、昭和42年、河内市、枚岡市と合併して、今わたしたちのいる東大阪市が出来たのですよ。もう50年近くにもなるんですね!

これからの東大阪市はどうなるのか、楽しみですね!

                                  おはなし  ひょこタンのパパ

(その8おしまい)

その9をお楽しみに!

                                 

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